また戦後、昭和33年、建設省の事務次官だったとき、大臣祝辞か何かの原稿に部下が「終戦後、はや13年云々」と書いたのを見て「終戦とは何事だ」と激怒した。「戦争に負けたのに敗戦と言わず、終戦という。全滅を玉砕と、撤退を転進と言い換える。そういうふうにしてごまかすと国は誤るぞ」と言ったそうです。

これは父が死んだあと、当時部下だった方たちが思い出として書いて残してくれていたからわかったことです。そういうリベラルな父でした。

もう一つ、父の思い出があります。ガンが見つかり、手術することになりました。私はその前日に病床に呼ばれて、遺言を聞かされ、最後に「あすの朝、お前が田中(角栄)のところにこれを持っていけ」と(大臣の)辞表を渡されました。