また戦後、昭和33年、建設省の事務次官だったとき、大臣祝辞か何かの原稿に部下が「終戦後、はや13年云々」と書いたのを見て「終戦とは何事だ」と激怒した。「戦争に負けたのに敗戦と言わず、終戦という。全滅を玉砕と、撤退を転進と言い換える。そういうふうにしてごまかすと国は誤るぞ」と言ったそうです。

これは父が死んだあと、当時部下だった方たちが思い出として書いて残してくれていたからわかったことです。そういうリベラルな父でした。

もう一つ、父の思い出があります。ガンが見つかり、手術することになりました。私はその前日に病床に呼ばれて、遺言を聞かされ、最後に「あすの朝、お前が田中(角栄)のところにこれを持っていけ」と(大臣の)辞表を渡されました。

自民党の石破茂前首相。「政治家に絶対なるな。お前にできる仕事ではない」が父の遺言の一つだったという
撮影=三東サイ
父・二朗氏は鳥取県知事を15年、参院議員を7年勤めて1981年に73歳で亡くなった。「政治家に絶対なるな。お前にできる仕事ではない」が遺言の一つだったという

「天皇陛下に申し訳がない」

なぜ手術が成功するかもしれないのに辞表を出すのですかと尋ねると、「万一のことがあった時に辞表が出ていないと天皇陛下に申し訳がない」と言うんですよ。親から「天皇陛下に申し訳ない」というセリフを聞いて、結構ショックでしたね。明治の人はそういう考え方をするんだと。そういう家に育ちましたから、天皇陛下はありがたい、尊いものだということは子供の頃から叩き込まれています。

石破が父親から受け継いだのは、戦争への反省と、天皇への敬意だった。それは一見すると別々のものに見えるが、石破にとってはどちらも「保守」の原点にある。そして父の影響は、日々の言葉や振る舞いだけでなく、少年時代に読む本にまで及んだ。

中学1年生のときだったかな。父が「これを読め」と渡してくれた本が吉村昭の『戦艦武蔵』と『零式戦闘機』。バリバリの反戦小説というわけじゃないんだけど、戦前あるいは戦中の、帝国海軍の技術の粋を集めて作った戦艦や飛行機、そしてそれを取り巻く人たち、あるいは国家のありようが描かれている。父は何も解説なんかしないけど、読めばいろいろなことが分かりますね。

後年、「軍事オタク」「鉄道オタク」として知られる石破だが、こうした書物を通じてその基礎が育まれたのだろう。ただ、父が息子に伝えたかったのは、兵器の技術や軍事の知識だけではなかった。国家とは何か、戦争とは何か、そして保守とは何か。少年期からの読書は、石破の「政治思想オタク」としての原点にもなった。

「保守の本質はリベラリズムであり、寛容」

中学の2年か3年の時、月刊誌の『諸君』が創刊になって、やはり父から勧められたのですが、これも面白く読めた。そもそもそういう保守的な家で育ってますから、あまり疑問にも思いませんでした。高校生の時くらいには、やはり父から「江藤淳というのが面白いぞ」と言われて読みました。

江藤淳の論説にはそのものズバリ「保守とは何か」というものがあって、「保守とはイデオロギーではない。保守の本質はリベラリズムであり、『寛容』なのである」と書いている。天皇制とかこの国の歴史だとか生まれ育った故郷とか、ご先祖様とか、そういう大切なものがあって、それは絶対に守らなければならない。ただ、その大切なものを守っていくために、他者の意見にも耳を傾け、もし改めるべきことがあるなら改める。それでこそ本当に大切なことを守ることができる、と。

なるほどそうなのだと思いました。