記憶は変わっても、体は覚えている

ここで広中氏が強調するのが、戦争体験の記憶が持つ独特の二面性だ。

「もちろん70年、80年前の話ですから、普通は忘れます。昨日、一昨日に何を食べたか忘れてしまうのと同じように、細部はぼやけていく。ところが皆さん、戦場のことは覚えていると言うんです。それだけ衝撃の強い体験だったということでしょう。鮮明に覚えていると言いながら、身振り手振りで当時の様子を再現してみせる。年老いてふらふらしていたおじいさんが、急にシャキッとして小銃を構えるような仕草をする。私たちは銃を持ったことがないから持ち方がわからない。でもその人は体に染み込んでいる。そういうのが出た時には、本当に驚きます。その時代に戻っているという感じになっているのです」

だから、証言をそのまま史実とみなすことはできないが、証言全体に価値がないわけでもない。その両面を受け止めることが、証言と向き合う出発点となる。しかし実際には、その見極めが十分に行われないまま、証言が史実として扱われるケースもあるという。

「厚生労働省など公的機関が作った証言集を見ると、聞きっぱなしでそのことが果たして本当だったかどうかはっきりしないところがたまにあります。私はこういう不信感を常に持って見ているので、貴重な証言なんですけど、本当かな、と思ってしまう。わからないまま研究対象とするのは難しい。注意して臨まなければいけないのですが、残念ながらそうなっていないものも多い」

広中氏自身は体験者からの聞き取り後、必ず一次資料と突き合わせる。特に数字は記憶違いが生じやすいことを念頭に置いて聞く。それが15年の経験から身についた作法だという。

「語り継ぎ」の過程で話が強くなる

証言の残され方には、もう一つ問題がある。どのような体験が選ばれ、語り継がれるかという偏りだ。

広中氏は、博物館や戦争資料館では、空襲を受けた子供たちの体験談など、被害の証言が目立つ一方、日本人が中国や南方で行った加害については、証言が残りにくいと指摘する。

「被害を伝えようとする人は被害を多めに語り、加害を伝えようとする人は加害を強めに語ってしまうときがあります。隠したいことは隠してしまうかもしれない。10人殺したのが楽しかったとか、生きた捕虜を使って銃剣の練習をしたとか、そういう話は語り継げないですよね。でも、語り継がなければいけない話でもある。両面がなければ、戦争ではないわけですから」

1945年、第73爆撃航空団所属のB-29の編隊が、日本の富士山上空を飛行している
1945年、第73爆撃航空団所属のB-29の編隊が、日本の富士山上空を飛行している(写真=USAAF Photographer/PD US Air Force/Wikimedia Commons

体験者が減ると、その記憶を次世代へ継承する取り組みが始まる。語り部の証言を台本にして学校などで語り継ぐ活動もその一つだ。その現場も知る広中氏は、率直に言う。

「語り継ぎの過程でも盛られてしまうことがあります。戦争はひどいということを伝えたい気持ちから、強めの表現になってしまう」

すべての継承活動で誇張が起きている、という意味ではない。ただ、「戦争の悲惨さを伝えたい」という目的が先に立つことで、一部の表現が強められたり、複雑な背景がそぎ落とされたりする可能性はある。

被害の証言は残りやすく、加害の証言は残りにくい。さらに継承の過程で、語りやすく、理解しやすい物語へと形を変える場合もある。歴史家には、そうして形成された語りを史料と突き合わせ、どこまでが確認できる事実なのかを見極める作業が求められる。

「オーラルヒストリーというのは、本当に慎重に対峙すべきものです。証言は裏付けを取って初めて史料となる。出発点であって、ゴールではありません」