海軍が払った過信と現状維持の代償
大本営が山本の戦死を公表したのは、撃墜から1カ月あまり後の5月21日。国立公文書館アジア歴史資料センターの資料によると、同日、山本は元帥府に列せられ、元帥の称号を贈られた。戦死から48日後の6月5日、国葬が営まれた。
防衛研究所の昭和100年特設ページ「山本五十六の戦死」が所蔵史料に基づき解説するところでは、収容された遺体は傷みが少なく、軍刀を握りしめたままだったといい、遺骨は横須賀から東京の水交社まで警察の厳重な警戒の下で運ばれた。
米側は日本海軍の暗号を読み解き、その情報を基に待ち伏せ作戦へと戦術を変えた。対する日本側は「確定的な資料」の欠如を理由に現状維持を選んだ。乱数表の更新は手続きであって、安全の証明とは別物である。その取り違えの代償を、日本海軍は連合艦隊司令長官の命で払った。
真珠湾攻撃を指揮して国民から英雄視された山本を、この組織は守ることができなかったのである。

