「解読される筈はない」という慢心

防衛研究所戦史研究センター史料室所蔵『山本元帥国葬関係綴』所収の南東方面艦隊司令部1943年4月22日付「事故調査概報」原史料8頁によれば、日本側は事件の4日後、米側が山本隊の行動を「熟知シ計画的ニ邀撃シタルニ非ズヤ」と疑っていた。

根拠は、「P38二十四機モノ大兵力」のブイン付近への進出が初めてだったことにある。24機は「事故調査概報」の把握数で、米側報告の16機とは食い違う。

「事故調査概報」の8頁はまた、計画的邀撃をうかがわせる事項と並べて「偶然遭遇セリト推定シ得ル事項」を列挙し、「十八日ハ偶然成功セルモノナリ」との見方も残した。疑いと、それを打ち消す推定が同じ頁に同居していた。

組織は正しい問いを立てていた。しかし、海軍はその問いを最後まで追いかけようとしなかった。先述の鮫島回想録153頁によれば、撃墜後、暗号解読の可能性を含めて「直ちに厳密な調査」が行われた。だが米側が視察計画を知っていたと推論できる「確定的な資料」は見いだせなかった。

海軍の暗号は、語句を数字の符号に変える「暗号書」と、その符号を隠すために定期交換する「乱数表」の二層でできていた。使用暗号は強度が高く、乱数表も4月1日に変更されたばかりで「解読される筈はない」と考えられていた。

海軍中枢は、乱数表の「新しさ」を安全の根拠に据えていた。ただし、4月13日の電報が実際に4月1日更新の乱数表で処理されたかは、ここで挙げた史料だけでは確定できない。

ミッドウェーの教訓を生かせず

鮫島回想録によれば、日本側が傍受した19日のサンフランシスコ放送も、陸攻2機と戦闘機2機の撃墜、米側1機の損失を伝えるにとどまった。前日の米海軍省「コミュニケ第348号」と同じく、山本の名にも情報源にも触れない、ありふれた戦果発表である。

米側が待ち伏せの成功を伏せたことで、日本側の判断は偶発的戦闘へと傾く。鮫島は、この放送によって暗号書の更新する必要性は考えられなかった、と回想している。ここからは、暗号が破られた確証を得られない限り現状を維持する、という安全判定の弱点が読み取れる。

では、乱数表の「新しさ」は防御として働いていたのか。ウェンガー講義録の時系列が示すのは、この電報が発信から2日足らずで完全な訳文まで読まれたという事実である。前年6月のミッドウェー作戦でも、米側は日本海軍暗号の解読と通信分析から作戦企図を事前に察知していた。漏洩を疑い、検証し、運用を改める回路は、1年後のこのときも動いていなかった。

ミッドウェー海戦中の1942年6月4日、空母ヨークタウン(CV-5)艦上での光景 ※この画像は着色されています。
ミッドウェー海戦中の1942年6月4日、空母ヨークタウン(CV-5)艦上での光景 ※この画像は着色されています。(写真=Cassowary Colorizations/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons