元気なうちは動き続け、老いたら離脱
活動理論が盛んに言われた頃のアメリカは、退職後も元気な高齢者がたくさんいて、「ペンション(年金)ライフを送るのではなく、社会に貢献するべきだ」という機運が高まった時期でした。ペンションライフとは、年金をもらいながら、田舎に移り住んで家庭菜園でもやって静かに余生を送ることで、欧米ではこれが退職後のよくある姿だったのです。
さらに1974年には、高齢者を一括りにするのではなく、まだ元気な「老年前期」と、その後に続く「老年後期」「超高齢期」に分けて考えるべきだとする心理学の論文が出版され、翌年ニューヨークタイムズの1面に掲載されたことで、広く知られるようになりました。
これが現在の、74歳までは前期高齢者、75歳以降は後期高齢者という分け方につながっています。それはともかく、まだ元気な老年前期には、他者への貢献なども含めて、社会参加することが、良しとされるようになったのです。
では、私たちはどうするべきか? 高齢期の長い今の日本では、退職後も元気なうちは、活動理論でいく方が幸福感が上がるのは確かでしょう。しかし人はみな、老いが深まるにつれて、社会的な活動ができなくなっていきます。
個人差がありますから一概に何歳からとは言えませんが、やがては徐々に人間関係を狭め、活動の範囲も狭めていかざるを得ない時期が訪れます。それに抗うことなく、最終的には社会的離脱理論に従うことが、自分を規範から解き放ち、幸福感を高めることにつながると、私は考えています。
名医が語った「階段の上り方」
聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明先生は、生前このように語っていたそうです。「私は駅の階段を1段飛ばしで上がることにしていましたが、年をとってそれができなくなったので、階段を1段ずつ上がり、最後だけ1段飛ばしで上がることにしました。
やがてそれもできなくなると思いますが、それまでは挑戦です」と。それを聞いた柏木先生は、「少しの挑戦と適切な折り合いを、見事に実現されている」と感じたそうです。この話を、あなたはどう思いますか?
では、諏訪中央病院の鎌田實名誉院長の、「高齢者は卓越した自分流を持っている」という言葉はどうでしょうか?
たとえば「長生きの秘訣はなんですか?」と聞かれたとき、人は「早起きすることです」とか「なんでも食べることです」などと、その人なりの答えを言いますが、その答えに根拠はありません。大事なのは「こうしているから、自分は長生きできる」という思い込みで、それがその人の「卓越した自分流」であり、「少しの挑戦」でもあります。

