「軍略の天才」が現代人に突き付ける教訓

戦後、東条英機はA級戦犯として絞首刑になったが満州事変の首謀者である石原は、A級戦犯として起訴されていない。なぜ外れたのか。

病気のためか、検察側の被告選定の事情か、それとも開戦前に予備役へ追われ、東条と対立し続けたからか。理由は今も、諸説あって定まらない。

病身の石原のため、東京裁判は1947年5月、郷里に近い山形県酒田で出張尋問を行った。そこでの石原は「18日夜10時過ぎ、奉天北大営西側において、暴虐なる支那軍隊は満鉄線を破壊し」と、あくまで中国側の仕業だという建前を繰り返し、「関東軍将兵が……事変を引き起こすが如き計画を謀議したことはすこしもありませんでした」と謀略を否定した。

その一方で、機先を制して関東軍の全力を奉天付近に集め、一撃で敵の息の根を止める作戦方針を立て、「教育、訓練、輸送等諸般の準備」を整えていたと、準備の周到さだけは誇らしげに語っている。この法廷での石原を「自己弁護に終始」と評する研究者は少なくない。

晩年は山形の西山に入植し、農村共同体づくりに没頭した。敗戦後は「最終戦争が東亜と欧米の間で行われるという予想は甚だしい自惚れであり、誤りだった」と、自説の核心をあっさり修正している。一方、日蓮への信仰と東亜聯盟の理想だけは最後まで手放さなかった。1949年、死去。波乱ずくめの60年だった。

構想は天才、実行は落第。石原莞爾の生涯は、この一言に尽きる。

どれほど鋭い読みも、現実に落とし込む計画がなく、あとに続く人へ根づかせず、組織を動かせなければ、暴走と挫折に終わる。大きな絵を描ける人ほど、この罠にはまりやすい。80年前の陸軍の話でありながら、どこの組織にも当てはまる話ではないだろうか。石原の生涯が突きつけてくるのは、時代を超えた教訓だ。

主要参考文献(孫引きを含む)
浜口裕子「石原莞爾の対中国観を追う――満洲事変から東亜聯盟への軌跡」『政治・経済・法律研究』第21巻第1号、2018年
石津朋之「総力戦、モダニズム、日米最終戦争――石原莞爾の戦争観と国家・軍事戦略思想」防衛研究所『平成15年度戦争史研究国際フォーラム報告書』所収
中尾訓生「石原の東亜連盟論とアイデンティティ」『山口経済学雑誌』第47巻第4号、1999年
伊藤嘉啓「ドイツにおける石原莞爾(その二)」『大阪府立大学紀要(人文・社会科学)』第45号、1997年
李昱「理想と現実の乖離――石原莞爾と満洲国『建国大学』」『愛知論叢』第119号、2025年
マーク・R・ピーティ『「日米対決」と石原莞爾』たまいらぼ、1993年
佐治芳彦『石原莞爾・蘇る戦略家の思想(下)』日本文芸社、1984年
伊藤隆『片倉衷氏談話速記録』日本近代史料研究会、1982-83年
今村均『今村均回顧録』芙蓉書房、寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編著『昭和天皇独白録』文藝春秋、1991年
石原莞爾述『世界最終戦論』立命館出版部、1940年、角田順編『石原莞爾資料(増補)――国防論策篇』原書房、1971年

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