独自の戦争論の根底にある宗教観

石原の行動を解く鍵は「世界最終戦争論」だろう。彼が1920年代から温めていた巨大な仮説だ。

戦争史を徹底的に研究した石原は、こう予測した――西洋文明の中心は、欧州大戦のあとアメリカに移る。次に来るのは日米がぶつかる「人類最後の大戦争」で、それは飛行機による殲滅戦になる――。この予測は1940年に『世界最終戦論』として刊行され、ベストセラーになる。そして、その翌年に現実の日米開戦を迎えたことで、後世に「予言的」とも評されることになった。もっとも本人の想定では、最終戦争は数十年も先の話だったので予言が当たったとは厳密には言えないのだが。

石原莞爾 述 ほか『世界最終戦論』,立命館出版部,昭和15.9.
石原莞爾 述 ほか『世界最終戦論』、立命館出版部、昭和15.9. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照 2026-08-10)

興味深いのは、石原のこの構想の土台に日蓮の予言への信仰があることだ。

戦略思想史が専門の石津朋之によれば、石原への法華経と日蓮の影響は「明白かつ決定的」だったという。石原は、日蓮主義運動を展開した宗教家・田中智學率いる教団「国柱会」の信者で、日蓮が予言した「前代未聞の大闘諍」――来るべき大戦争――に独自の解釈を加え、自分の戦争史研究をつくりあげた。

ドイツ留学中には現地の青年に日蓮主義を説いて回り、質問されて答えに詰まると「君の学問がまだ足りないから熱心に勉強したまえ」と逆に説教したという逸話まで残っている。冷徹な戦略分析と、終末論めいた宗教的確信が平気で同居したのが石原の思想を独特だが難解にしている。

満州は目的ではなく手段である

反米感情も筋金入りだった。石原がドイツに留学していた1922〜25年、海の向こうのアメリカでは、日本人移民の土地所有を禁じる排日土地法が各州へ広がりつつあった。そんな折、ベルリンの映画館で「排日宣伝ノフィルム」を見せられた石原は、満座の中でアメリカを罵倒する。あとで自分でも「少々大人気ナカリシ」と書き残すほどで、書簡には「小生有色人種トシテ内心大ニ平ナラズ」の一文もあった。

ドイツ滞在中、アメリカ人の大尉から「日本への帰りにアメリカへ寄るのか」と聞かれたときの返しが、里見岸雄の回想に残っている。「ナイン(否)。自分がアメリカへ行くのは、占領軍司令官としてだけだ」。

少しわき道にそれたが、ここからが本題だ。

満州事変は、この最終戦争から「逆算」された一手だった。

アメリカの桁違いの工業力を相手に総力戦を戦うには、日本には資源も生産力も足りない。それならば満州を押さえ、来るべき決戦の「基地」にする。石原にとって中国大陸とは、日米最終戦争に必要な資源・物資を得るための基地でしかなかった。満州は目的ではない。手段だったのだ。

満洲の地図
満洲の地図(写真=The World Factbook/CIA/PD-USGov-CIA-WF/Wikimedia Commons

日中戦争への反対も、同じ理屈で読み解ける。ソ連への備えを固め、国力を蓄えるべきときに中国と全面戦争を始めたら、肝心の決戦準備が吹き飛んでしまう。石原の構想には最低10年の平和が必要だった。

つまり石原の「不拡大」は平和主義ではなかった。ただ「今はその時じゃない」という、合理的な選択だった。