戦前日本のモラルを体現したような人物

今日の人に、乃木さんの存在の大きさ、不思議さは理解しがたいかもしれません。旅順陥落の英雄であり、戦後は学習院院長として、昭和天皇をはじめ皇族の教育係にもなった。明治天皇の死に殉じ、妻とともに自決し、日本のみならず、世界の人々に感銘を与えた。明治の日本人の、大きな象徴的な存在でした。

乃木希助将軍とその妻、静子夫人
乃木希助将軍とその妻、静子夫人が、自殺当日、青山の自宅でくつろいでいる様子(写真家不明/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

司馬さんも私もそうでしたが、戦前の教育を受けた子供にとっても、乃木さんの存在は大きい。戦前の日本のモラルを体現したような人物でした。

しかし、その乃木さんは、およそ軍事的には無能な軍人でした。その彼が第三軍の司令官に選ばれた。必然的に日本の命運を握ることになってしまう。そこにある陸軍の体質をも、司馬さんは書きたかったのではないか。

司馬さんは、「乃木神話」にひるみませんでした。『坂の上の雲』の「産経新聞」連載が始まる約一年前、「別冊文藝春秋」の昭和42年6月号と9月号に、乃木将軍をテーマにした「要塞」「腹を切ること」を書いています。合わせて『殉死』として刊行されています。

「何度も戦争をやってみた」司馬の結論

乃木将軍が明治天皇の死を追って殉死したことに対しては、当時の世界的な、国民的な評価とは別に、文学者などの間では是非が分かれています。芥川龍之介は『将軍』で、N将軍として批判的に描いています。アバウトにいえば、司馬さんの視点は、その中間といえるかもしれません。

独自な乃木像が司馬さんにはある。

つまり軍神に祭り上げられた“乃木神話”のベールを一枚一枚、はぎとって、その衣にひそむ、きわめて人間的な納得のゆく像を引き出す。司馬さんの乃木を考えるポイントはいくつかあります。

まずは旅順攻略戦です。

『司馬遼太郎全集32』の末尾に「年譜」がありますが、それに司馬さんの“解説”的な話が載っています。『殉死』について語ったものですが、そこで司馬さんはいいます。

「さらにまた『殉死』で心を使ったのは、戦術のことでした。旅順の第一回総攻撃から第三回総攻撃までの地図を幾枚もつくり、もし自分でやればどうなるだろうと思い、紙上で何度も戦争をやってみました。やはり乃木希典の旅順攻撃のやり方は根本からまちがっていたと思いました」