近代国家として「欲しかった説明」
明治・大正期の歴史家や政治の側は、この『神皇正統記』の論理をきわめて都合よく使いました。つまり、後醍醐天皇は“本物”の神器を持っていた。その神器は南朝の天皇――後村上、長慶、後亀山――へと受け継がれた。最後に後亀山天皇が京都へ赴き、北朝の後小松天皇に神器を引き渡した。
であるならば、後小松天皇は本来は北朝の系統(正統ではない)に属していても、その時点で本物の神器に守られる正統の天皇になった。以後の皇統はその後小松天皇につながっているのだから、明治天皇も大正天皇も、そして現在の天皇に至るまで、正統性に何の揺らぎもない――こういう筋書きです。これは近代国家としては、どうしても欲しかった説明でしょう。南朝正統論を捨てずに、しかも現実の皇統の正統性も守れるからです。
「きわめて政治的な品物」だった
しかし、先も見たように、史料上は《三種の神器》は少なくとも3セットあったように読める。そうなると、「後醍醐から後亀山まで南朝がずっと唯一の本物を持ち続け、それが最後に後小松へ受け渡された」という話そのものが、かなり苦しくなります。
ここまでの議論でわかるように、《三種の神器》は、皇統の正統性を語るために、時代ごとに意味づけされ、守られ、ときに作り直されてきた、きわめて政治的な品物だったのです。僕は皇室に敬意を抱く立場の歴史研究者ですが、史料を追えば追うほど、「三種の神器とは何か」という問いは、「聖なる宝物とは何か」という問いである以上に、「国家は何をもって正統性を語るのか」という問いに近づいていきます。イワシの頭も信心から、とはよく言ったものです。
結局、お宝の価値は、それを持つ側がどう信じ、どう語り、どう扱うかで決まってくるのです。

