『太平記』を読み込んだ結果…
では、現代はどうかというと、宮内庁の公式説明によれば、まず鏡の本物は伊勢神宮にあり、皇居内にそのレプリカが保管されている。勾玉は皇室内にあり、剣は熱田神宮に収められている。平常時はバラバラの場所にあり、代替わりの際には、まず宮中で剣と勾玉が新しい天皇に受け継がれる。そのうえで、のちに伊勢神宮へ赴いて鏡に即位を奉告するわけです。
けれども、剣の本体は熱田神宮にあるはずでしょう。そう考えると、どうにも話の座りが悪い。さらに、本物の剣は壇ノ浦の戦いの際に海中深く沈んでしまっている。では熱田神宮にあるとされる剣は……? いろいろと検証していくと、疑問が尽きません。したがって、このあたりの公式見解は、明治維新で国家神道が再編された際、“そういうことにした”のでしょう。
さらに南北朝時代に遡ると、話はいっそうややこしくなります。『太平記』を丹念に読みこむと、どうも《三種の神器》は少なくとも3セットはあったように解釈できるのです。まず一つは、後醍醐天皇が皇太子だった恒良親王に託し(皇位を譲った、という形をとった)、新田義貞らとともに北陸へ持たせたもの。次の一つは、京都へ戻った後醍醐天皇が、北朝の光明天皇に渡したもの。そしてもう一つは、その後に吉野へ逃れた後醍醐天皇が、「自分の持つ神器こそが本物だ」と言って立てたものです。
これでは、どれが本物なのか、もう簡単には決められません。少なくとも中世の現場では、神器は私たちが思うほど一枚岩の、動かしようのない“唯一無二のセット”ではなかった可能性が高いのです。

