秀吉一流のサービス精神の発露

この庭園が現在のような姿へ整えられるきっかけとなったのが、かつてこの地で催された「醍醐の花見」です。これは晩年の秀吉が、北政所きたのまんどころ淀殿よどどの、側室たちを伴い、諸大名も交えて開いた一大饗宴でした。秀吉はこの花見のために醍醐寺の堂宇どううを整え、約700本の桜を植え、三人の庭奉行に命じて庭園を造らせています。

本郷和人『カラー版 皇室のお宝』(中公新書ラクレ)
本郷和人『カラー版 皇室のお宝』(中公新書ラクレ)

大勢の人を巻き込み、舞台そのものを作り替え、そこに集う人々に非日常を味わわせる。現代風にいえば、まさに秀吉は巨大イベントのプロデューサーです。もちろん、そこには天下人として自らの権力を誇示する意図もあったでしょう。しかし、それだけでは片づけられません。花見ひとつのためにここまで徹底するところに、僕は秀吉一流のサービス精神の発露を見るのです。

ただ、三宝院の魅力は秀吉だけでは語りきれません。三宝院そのものは、もともと醍醐寺の本坊で、歴代の門跡もんぜきの居住場所となってきた非常に格式の高い場所です。醍醐寺は真言宗の大寺院ですが、そのなかでも三宝院は特別な位置を占めてきました。中世には、天台・真言の高僧たちが将軍家のために祈る「護持僧ごじそう」という役割が重んじられましたが、その取りまとめを担ったのが三宝院でした。いわば、宗教界におけるトップオブトップのひとつであり、政治と宗教の中枢に結びついた特別な空間だったことがわかります。秀吉がここに強く関わったのも、その格式の高さに惹かれたからでしょう。

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