私も子供も、第2志望校で気持ちが固まったのに……
待っていたら来ない、あきらめたら来る。神様は実に気まぐれだ。
落ちついて「それ」を待てるように先輩パパ・ママの経験談を聞いておこう。繰り上げ合格に翻弄された3家族の物語。
エピソード1(M・Gさん 山手学院)
2月10日夜7時50分、事態が急変! 2月に消えたお金100万円!
(塾の先生からお墨付きをもらっていた第1志望の山手学院の1日目も2日目も不合格。押さえのK中の合格はあるものの、どうにかもう1つの合格が欲しいと急きょ、日本大学を受けるも不合格だった。2月6日、最後の受験として息子には難しいと予想される法政大学第二を受けることに)
私(父)は法政第二を受けに行く息子と妻を駅まで車で送り家に帰りました。今夜は受験終了の慰労パーティーをしようと思い、「合格おめでとう」の横断幕を作る作業にとりかかりました。受験の間、私はお酒を断っていたのですが、ビールを買い、すしの注文をしました。もう泣きながらの準備です。息子の部屋にある受験関係の張り紙や机の写真も撮影。そして、息子へ手紙を書きました。最後まで頑張ったね、と。しかし合格おめでとうとは書けなかった……。
試験が終わり、息子と妻は帰ってきました。試験の手ごたえは聞けませんでした。靴も脱がずに、鞄を置いてすぐに公園でキャッチボールです。やり切ったという思いと解放感で笑いが絶えませんでした。
夕方になり、パーティーです。カンパイのあと食事をして、おじいちゃん、おばあちゃんに中学受験が終わったと電話し、「進学先はK中になると思うよ」と伝えました。K中でも堂々と胸を張って行けよ、いい学校だぞ、とまるで自分に言い聞かすように話をしました。そして子供へ書いた手紙を渡しました。子供が手紙を読んでいる間、涙が止まりません。下の子ももらい泣きです。横断幕前でみんなで写真撮影や胴上げなどして家族の絆が強まり、パーティーは終了しました。
夜8時に発表の法政第二の結果を見るために子供がパソコンの前でID・パスワードを打ちました。これ以上のショックを受けたくない気持ちで、妻もその場にはおらず、私もちらっと見る程度でいました。しかし、まさか、まさかでした。「あった!」と言う息子の大きな声。