なぜ缶詰メーカーがみかん農園を始めたのか
愛知県半田市に広がる、約13ヘクタールのみかん農園。ドーム球場約3個分に相当する広大な土地に、およそ1万1000本のみかんの木が植えられている。
農園を運営しているのは、農家でも農業法人でもない。名古屋市にある老舗の缶詰メーカー「岡本食品」と、そのグループ企業の「トーアス」だ。
なぜ、缶詰メーカーが自らみかんを育てているのか。社長の岡本嘉久さんはこう答えた。
「国産みかん缶詰の原料が足りないからです」
最後にみかんの缶詰を買ったのはいつか。そう聞かれても、すぐには思い出せない人が多いかもしれない。筆者もその一人だった。加えて国産みかんの缶詰の価格は、輸入みかんの缶詰の2~3倍ほど高い。
割高ならば国産みかん缶詰は敬遠され、原料となるみかんも余るのではないか。ところが現実は正反対だ。国産みかん缶詰は一定の需要がある一方、需要に供給が追いつかず、メーカーは原料となるみかんを十分に確保できない状況に陥っている。
背景にあるのは、安価な輸入缶詰品との価格競争だけではない。日本人が「より甘いみかん」を求めてきたことも、缶詰メーカーの原料調達を難しくする一因になっているという。みかん生産者は消費者の「より甘いものを」という好みに対応しているのだが、皮肉にも、缶詰には「甘くておいしい原料」が向かないのだ。
それはいったいなぜのか。そして、なぜメーカー自らがわざわざ、みかん栽培にまで乗り出さなければならなかったのか。
岡本食品の挑戦をたどると、国産みかん缶詰が直面する、原料調達の構造的な課題が見えてきた。
戦後の経済復興を支えたみかん缶詰
岡本食品の創業は100年以上前の1921年。当初は愛知県で盛んだったトマト栽培を背景に、トマトケチャップやトマトソースなどを製造していた。
転機となったのは戦後だ。当時の日本にとって、海外への輸出による外貨獲得は経済復興のための重要課題だった。そこで国が力を入れた産業の一つが缶詰だ。みかん缶詰は欧米への有力な輸出品となり、全国の食品会社が相次いで製造に参入。ピーク時には、300社を超えるメーカーがひしめいた。
岡本食品も1959年には、業界団体を通じたみかん缶詰の出荷実績が確認されている。工場に近い知多半島は古くからみかん栽培が行われていた。そこで地元で収穫されたみかんを調達し、缶詰へと加工した。
しかし、その後は円高や輸入自由化などを背景に国際競争が激化し、メーカーの撤退が相次いだ。現在、国内でみかん缶詰を製造する企業は岡本食品を含めてわずか9社ほど。
岡本さんは、生き残れた理由をこう説明する。
「私たちはもともと、輸出よりも国内販売をメインにしていました。特に学校給食では、『子どもたちには国産の安心・安全な食材を提供したい』というニーズが根強くあります。輸入品との価格競争に巻き込まれにくい販路を持っていたことが、結果として事業の存続につながりました」
2026年時点の岡本食品の国内シェアは2割ほど。みかんは年間約1400トンを使用している。




