第1回はこちら(http://president.jp/articles/-/11626)

日常のしぐさのなかに鍵が潜んでいる

(PPS=写真)

アランの『幸福論』の特徴として、心身の関係性に着目している点があります。日常的な行動やしぐさ、体操や姿勢のなかに幸福への鍵が潜んでいるという指摘は新鮮です。

「気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。(中略)そうではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。なぜなら、われわれの中で、運動を伝える筋肉だけがわれわれの自由になる唯一の部分であるから」で、「ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段」であり、「こんな実に簡単な運動によってたちまち内臓の血液循環が変わることを知るがよい」と記しています。

自分は不幸だという焦燥や不安、苦悩や怒りといった情念にとらわれている人は、まず理屈であれこれ考えるのをやめたほうがいい。その代わりに、体操をしたり、他人に微笑みかけたりするなど簡単な行動を意識的に起こすことが大切だというのです。

宗教が要求しているしぐさ、「ひざまずいたり、からだをかがめたり、また楽な姿勢にもどったり」にも、実は、「(肉体が)諸器官を解放し、生命の機能をいちだんと高める」効果があるのだろうという指摘も興味深いものです。

「『頭を垂れよ』という言葉は、(中略)まず黙って、目を休めて、柔和な心で生きることを求めているのである」とも言っています。

これに関連してアランは、われわれ現代人が忘れがちだが大切で実行可能な、幸福へのヒントに触れています。

「訪問や儀式やお祝いがいつも好まれるのである。それは幸福を演じてみるチャンスなのだ。この種の喜劇はまちがいなくわれわれを悲劇から解放する」。他人の家を訪問したり逆に自宅に来客があれば、必然的に礼儀正しく丁寧に温かい気持ちで行動することになります。それが不機嫌や苦悩を忘れさせてくれます。儀式で折り目正しいしぐさを演じれば、気分も自然とおごそかになり、お祝い事を行えば気持ちも浮き立ちます。