「すごく面白いものができた」と「やばいかな」

実はメジャーデビューの少し前にも、仏教への見方が変わり、曲作りの転機になった出来事がある。ある地方でライブを行った際、「故郷を想う」曲を歌うと、終演後に老夫婦が薬師寺さんの元にやって来た。そして、「曲を聴いていたら、自分を育ててくれた人のことを思い出した」と話してくれたのだという。

「その時、自分が歌で伝えていることと、父(住職)が法要でしていることはそれほど差がないのではないかと感じました。それまで仏教(僧侶)と音楽(ミュージシャン)を明確に線引きをしていたのですが、“分ける意味ってなんだろう”と思ったのです」

修行時代での読経によるインスピレーション、「これで音楽を作りたい」という気持ちを大事に、薬師寺さんは『般若心経』にメロディーを乗せて歌ってみたいと思い立った。

「ハモることが好きだったので、自宅のスタジオを使って多重コーラスを入れてみることにトライしたのです」

ひたすら『般若心経』を唱え続け、自分の声をハモらせていく。そうして出来上がったのが代表曲『般若心経』である。

「音源ができた時、『すごく面白いものができた』というのと、『やばいかな』『大丈夫かな』という二つの気持ちがありました。でも家族や仲間に聞いてもらうと、癒される、面白いやん、いい雰囲気というポジティブな反応。私自身も、散歩しながら音楽の『般若心経』を聴いていると、当たり前の景色が違って見えるという、不思議な感覚でした」

やがて僧侶の薬師寺さんが『般若心経』を歌う動画がSNSで注目され、中国や台湾、香港など海外からライブの依頼が舞い込んだ。

コロナ禍ではライブができなくなったが、日本のお寺でミュージックビデオを撮影することに切り替えた。さまざまなお寺で、そのお寺のイメージにアレンジした『般若心経』の曲を歌い、映像を作るのだ。それがコロナ禍でぐんぐん広がっていった。

薬師寺寛邦さん
撮影=今井一詞
お寺に生まれ育ち、小学生の頃から「毎朝、『般若心経を読んでから学校に行きなさい』と親に言われました」と薬師寺さん。「当時は早く終わらせたいので、めちゃめちゃ早く読んでいました」と笑う。

賛否を生むようなギリギリのライン

薬師寺さんは「ヒット商品」を生み出すコツについて、こう話す。

「今、流行っている音楽がこういう感じだからと、それに寄せて作っても、聴く人には絶対に届かないと思います。どんな業界でも、まずは作り手の好奇心が土台になるのではないでしょうか。私自身ももともとハモるのが大好きで、そして修行時代の読経で、たくさんの声が重なる気持ち良さ、感動体験を味わい、『般若心経』を音楽にしたいと思いました。純粋な好奇心がエネルギー源なんです」

もう一つ、賛否を生むようなギリギリのラインを乗り越えていく勇気も必要ではないかという。

「般若心経をリリースした際、友人の僧侶から『崖から飛び降りた』『俺ならできない』と言われました。私自身も曲ができた時、『やばいかな』と心配した気持ちをお話ししましたが、それでもこの曲を多くの人に聴いてほしかった。そんな自分の好奇心、本当の気持ちを大事にすることだと思います」

でも仮に好奇心から発案した何かがうまくいかなくても、「思い通りにいく人生は面白くないですよ」と笑う。

「メジャーデビューした時のことは世間から見れば成功したと言えないでしょうし、修行時代も想像以上に苦しかったです。そして今も思うようにいかなかったり、イレギュラーなことも多々起こったりしますが、だから人生は面白いんだと、最近はその過程を楽しむようにしています。苦しみといいますか、“試練”があるからこそ、人は自分が何を求めているのかを見出し、また幸せを感じられるのです」