信長の後継者は恒興の血縁だった
従来の説では、信長の遺児である信雄・信孝が家督継承を争い、秀吉が信忠の遺児・三法師を擁立したといわれていたが、最新研究では信長の嫡孫・三法師の家督継承を前提に、その名代を誰にするか、信雄(信長次男)・信孝(信長三男)が清須会議で争ったという(『信長の血統』)。
「豊臣兄弟!」の大河ドラマ・ガイド(NHK出版)によれば、最新研究を反映し、三法師が家督を継承し、信雄・信孝が清須会議で名代を争うという構図になっている。
また、ドラマ・ガイドでは池田恒興が信孝を推しているが、それはありえないだろう。
恒興の長男・池田元助の妻は、三法師の母と姉妹なのだ。三法師が織田政権を継いだ場合、池田元助はその最側近となる可能性が高い。従来説では秀吉が三法師を擁立したことになっているが、本来ならば恒興が擁立したとしても不思議ではない。
つまり、恒興とすれば、三法師の邪魔をするヤツの芽を摘むことが重要であり、その最右翼が信孝なのだ。信孝は山崎の合戦に参陣しており、信長死後の織田政権では最も優位な立場にある。かれを名代にすれば、三法師の家督継承を邪魔する可能性が高い。だから、恒興は信孝を支持するとは考えがたい。
四男以下は後継者候補にならず
信長には11男11女がいたといわれている。長男の信忠は本能寺の変で死去。次男・信雄(清須会議の時に満24歳)、三男・信孝(24歳)は清須会議で名代争いをしていた。
四男・津田信房(一般には武田勝長。17歳)は池田恒興の婿養子になっており、恒興としては信房を擁立したいはずだが、不幸にして本能寺の変で討ち死にしている。
五男・羽柴於次秀勝(14歳)は周知の通り、羽柴秀吉の養子である。三法師擁立説で、みんなすっかり忘れてしまっているが、秀吉以外の宿老が一番警戒していたのは秀勝の擁立だったのではないか。ただ、秀吉自身にその気がなかったようだ。
六男は生没年不詳、七男は9歳で、それ以降の幼児は考慮されなかったようだ。


