世界に開かれた歌舞伎になるために
近年の歌舞伎は、映画『国宝』のヒットやインバウンド需要の拡大を背景に、新たな観客層を獲得しつつある。しかし海外からの観客も視野に入れるのであれば、改善すべき点は多い。
例えば、外国人向けの予約システムや字幕サービスは十分とは言えず、日本文化を代表する舞台芸術としては物足りない。男女平等や労働環境、人権への配慮といった現代的な価値観にも、これまで以上に向き合う必要がある。
これは舞台の運営だけでなく、作品内容にも当てはまる。古典歌舞伎には切腹や家のための子殺し、仇討ち、男尊女卑を前提とした物語が少なくない。それらは歴史的作品として尊重されるべきだが、現代の観客、とりわけ海外の観客がどのように受け止めるかという視点も欠かせない。
2021年には、明治座での市川海老蔵(現・團十郎)の新作舞踊『KABUKU』が、中国人風の扮装をした人物を揶揄しているとして人種差別的との批判を受け、演出変更となった。作者にその意図がなかったとしても、現代社会では観客の受け止め方が重要であることを示した出来事だった。
時たま上演される「御摂勧進帳」、通称「芋洗い勧進帳」という演目がある。武蔵坊弁慶が番卒たちと大立ち回りを演じたのち、討ち取った首を次々と桶に放り込み、金剛杖で芋を洗うようにガラガラかき回すという場面がクライマックスだ。誇張と奇想を楽しむ趣向だが、現代人が楽しめるかは疑問だ。古典を否定する必要はないが、その演出や見せ方については検討が求められる。
「守ること」と「変えること」は対立しない
松竹が歌舞伎興行をほぼ独占している中、その弊害を減ずるには、国立劇場歌舞伎公演の主催者である日本芸術文化振興会が独自性をより発揮すべきだ。
演目については民間の松竹ではできない「復活狂言」を実現するなど評価が高い。しかし配役については独自性を感じない。国立劇場歌舞伎も松竹の製作協力なくしては成り立たないことは分かる。だが、税金で運営し、自らが養成をしているのだから、養成所出身俳優の積極的な登用も行うべきだ。
歌舞伎は400年以上にわたり変化を重ねながら生き続けてきた。その歴史が示すのは、「守ること」と「変えること」は対立する概念ではないということだ。松竹には、日本文化を代表する担い手として、伝統を継承すると同時に、時代の変化を柔軟に取り入れる責任がある。
松竹が今日まで歌舞伎を維持してきた功績は極めて大きい。だからこそ、その強い基盤を未来へ引き継ぐためにも時代に即した改革が求められる。
近年、「推し」という文化が広がっているが、歌舞伎も屋号や名跡を応援する伝統的な「推し」の文化を育んできた芸能だ。この文化的な強みを生かしながら、多様な人材が能力を発揮できる制度へと進化させることができれば、歌舞伎は次の100年も世界に誇る舞台芸術であり続けるだろう。
それこそが、「松竹歌舞伎」の光をさらに輝かせ、影を乗り越える道である。


