元少年たちはマイケルの会社を訴えた

サンダンス映画祭で上映され、ドキュメンタリー&ノンフィクション特別番組部門でエミー賞を受けた作品だが、遺産管理団体側は「告発者とその家族にしか話を聞いておらず、ドキュメンタリーとして一方的」と批判している。

告発男性2人は、マイケルが設立したMJJプロダクションズとMJJベンチャーズを相手に、企業の法的義務や責任を問う訴訟を起こした。いったん棄却されたものの控訴審で復活している。今年9月に全員がいったん出廷する予定だが、公判は2028年2月まで延期になったことが今年6月に報じられている

『ネバーランドにさよならを』で話された内容が正しいかどうか、今後裁判で判断されることになるが、作品の比重はネバーランドであったという性虐待だけでなく、虐待された「その後」、告発者がどのような心理状態にあったか、にも置かれている。結婚して子どもを持って、子どもがどれだけ純粋か実感するようになり、当時の自分に起きていたことが何だったか考えた、と告発男性は語っている。「自分の子どもが被害に遭ったら」と思うと激しい怒りを覚えるが、自分自身に対しては何も感じないことや、「いつかまたマイケルと友達になれないか」という気持ちがずっとあったことなどが明かされる。

ロサンゼルスの「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」にあるマイケル・ジャクソンの星形プレート
写真=iStock.com/TriggerPhoto
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「グルーミング」の典型的事例とは

児童性虐待が専門のナディア・ウェイジャー博士はこの映画の公開当時、「真偽のほどはわからないが、男性2人の証言は、虐待の発生を防ぐためにより深く理解するべき問題を提起している」という。例えば、児童性虐待の加害者は、子どもと感情的な絆のある「親友」のようになる。そして「自分は特別な存在」と子どもに思わせ、周りから孤立させるように仕向ける。いわゆる「グルーミング」の手口だ。子どもより先に、親がグルーミングされてしまうことも多い。加害者側と感情的な絆を結ぶことで、親も「あんなすばらしい人がいまわしい行為をする」ことが理解できなくなってしまうからだ。

また幼少期に性虐待を受けた場合、それが間違っていると気づかないことも多いという。虐待だったと気づいた後も、加害者への愛情を捨てられず葛藤を抱えることがある。このため告発しても、躊躇する気持ちがなくならず罪悪感を持ったりする。虐待経験から引き起こされるトラウマが表面化するまで、数十年かかったり一生続いたりすることもある、などと指摘している。

日本の芸能界もひとごとではない

こうした指摘を聞いて思い浮かぶのは、ジャニー喜多川による児童性加害問題で持ち上がった数々の事柄だ。突然ジャニーズ事務所に招き入れられて感じる、少年たちのドキドキ感や「自分は特別なのかも」と思う特別感。その一方で、富と名声にまかせて好き放題にふるまうミリオネアの存在。「作品に罪はない」と、人と音楽性を簡単に切り分ける考え方。いったん露見するとスポンサーが消えること。そう考えると結局、児童性虐待とは被害者と加害者の問だけではなく、自分自身も含めた社会もグルになっている問題なのだと考えざるを得ない。

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