「何のために頑張っているのか」

しかし、そこで別の問いが立ち上がる。では、家族とは何なのか。親とは何なのか。働くとは何なのか。何のために頑張っているのか――と。

ここに共働き子育てモデルの哲学的なパラドックスがある。子どもに会う時間もなく、家族だけで過ごす時間もなく、朝から晩まで、場合によっては土日までも働き、労働だけで生活時間が埋め尽くされる。そうして、働いて得たお金で家事や育児を外部化する。だが、そこまでして維持される家庭とは何なのか。親が子どもと過ごす時間を削り、その削った時間で得た賃金によって、親子の時間の不足を埋める。この循環に対して「何のために生きているのか」という問いが出てくることは、まったく不自然ではない。

かれらは仕事を家庭に煩わされたくないと思っているわけではない。子どもと過ごす時間のすべてを犠牲にしてまで働き、その結果としてようやく生活が成り立つような暮らしそのものに苦しんでいるのである。ゆえにその苦しみの声に「もっとアウトソーシングしやすくしますよ」「家事代行やAI家事ロボットを使いやすくしますよ」「家庭のことに煩わされず仕事に全力投球できますよ」ではまるで答えになっていないのだ。