「大黒柱モデル」は現実的なのか
しかしながら、今後ますます少子化が深刻化し、社会のインフラや経済活動に目に見える形でリスクが顕在化し、インフレで夫婦共働きの子育て世帯は疲弊していくなかで、「共働きから大黒柱モデルに戻そう」という世論が大きく高まったとしても、本当にそれが現実的に可能かどうかはべつの問題だ。
「私たちはもっと働きやすくするために稼ぎたいのではなく家族の時間を過ごしたいのだ」と赤沢大臣に詰め寄った女性たちの姿をみるかぎり、かつてのような男性大黒柱モデルへの回帰を、女性たちは意外なほど柔軟に受け入れるかもしれない。
実際、統計的には男女共同参画が推進されてきた30年弱、共働き世帯におけるフルタイム女性の割合はほとんど増えていない。もちろんすべての女性がそうだという話ではないが、働きながら出産し、育児し、家事し、なお家庭の中心的責任まで背負わされる暮らしに疲れ果てた女性にとって、「自分だけが労働市場で男性並みに競争しなくてもよい生活」は、ここまで生活状況が悪化した今では、もはや抑圧ではなく解放として映る可能性がある。
共働きは男性の救済でもあった
しかし男性の立場は異なるだろう。男性から見れば、現在の社会は少子化ではあるものの、少なくとも「自分だけが稼得役割のリスクを負わなくてよい社会」でもある。妻も働くことが当然になったことで、男性だけが家計の全責任を背負い、失業や病気や収入低下の不安を一身に引き受ける重責からはある程度解放された。結婚しても、家庭を持っても、男性だけが大黒柱として燃え尽きる物語に戻らなくてよい。これは多くの男性にとっては救済でもあった。
その男性たちに向かって、社会がいまさら「やっぱり昔のように、あなたたちが大黒柱になってください」と言ったところで、「はいわかりました」と素直に応じるとは限らない。この30年弱、男性はしばしば古い性役割の担い手として批判され、同時に稼得責任だけは暗黙裡に期待されてきた。男らしさは疑われ、父権は否定され、しかし高収入であること、頼れること、家族を守れることだけは都合よく求められる。そのような扱いを受けてきた男性が、再び自己犠牲の物語に戻るかどうかは未知数である。

