46歳でのハーバード留学

企業理念のようなものには、一般に、社内の関心は薄い。「何の利益も生まない」「何かの特効薬にもならない」というわけだが、そうではない、と確信する。きちんと浸透させれば、会社にとって最後の「守護神」となる。格付けと同様に、「無用」に思われていたが、大切だ。

「人皆知有用之用、而莫知無用之用也」(人みな有用の用を知りて、無用の用を知る莫(な)きなり)――世の人々は、役に立つものの必要性は分かっていても、無用と思われるものが実は大きな役割を果たすことは知らない、との意味だ。誰もが「みるからに役立つ」「すぐにでも役立つ」というものばかりを、求める。そんな思慮の浅さを戒めた中国・戦国時代の思想書『荘子』にある言葉だ。無用とされがちなものも大事にする日比野流は、この教えに重なる。

「5つ目のサプライズ」は社長就任の打診だったが、その前にあった4つ目は、2001年の米ハーバード大学院への留学だ。当時、次長職を2年以上経験した社員を対象に社内公募し、最長1年間、留学させる制度ができた。でも、自分は次長になって7年もたち、新しくできた持ち株会社の経営企画第一部長。「行ってはみたいが、ラインの部長がそんなに長く不在となるなど無理だ」と思っていたら、上司の役員が「行ってみないか」と言ってくれた。

7月に辞令が出て、9月からハーバードの「アドバンスト・マネジメント・プログラム」で2ヵ月余り、競争戦略論や会計学、国際経済学を学ぶ。46歳の誕生日を迎える月だった。教室には、時代を反映し、アジアの若手経営陣が多数いた。そのとき親しくなった中国系の事業家が、いま、数十億円単位のビジネスパートナーとなっている。

アジアと言えば、2009年12月、三井住友銀行と合弁の解消を決めた投資銀行子会社で副社長をしていたとき、「アジア特別担当」の肩書が付いた。この4月に社長になるまで、続く。いま世界の中で最も成長がめましい地域で、業種を問わず、その成長のパイを奪い合っている。当時の社長と食事をした際、話題がそこへ行き、社長に「どうしますか?」と聞くと、「やりたいな」と答えた。思わず「じゃあ、私がやりましょうか」と口に出た。

正直言って、やや出遅れた。だけど、円高、法人税、温暖化対策、労働法制の強化に電力不足が加わり、日本の製造業のアジア展開はさらに拡大する。当然、投資や資本調達、M&Aのビジネス機会も増える。人材も資金も、ほかを削っても、アジアに力を入れなければならない。特別担当になって、中国語を習い始めた。週に2、3度、役員室で個人レッスンを受けてきた。

この4月、社長就任と同時に臨んだ入社式で、新入社員たちに「時代の変化を機敏に察知する感性や、幅広い国際感覚を常に磨いて下さい」と求めた。さらに、「お客さまの信頼を第一に考え、誠実さと高いコンプライアンス意識を持つことは、大和証券グループが社会で存在を許される大前提です」と指摘した。13年余り前に手がけた「企業理念」などが、そのベースにある。これは、やはり「無用の用」だ。

投資銀行業務などグループの再編や個人客向け業務の立て直し、国際業務の充実、肥大化した本社機能のスリム化など、新社長としての課題は、わかっている。進むべき道も、みえている。「社会のなかで、必要欠くべからざる存在になろう」。いま繰り返しているフレーズが、近い将来、企業理念に加えられることになるのかもしれない。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)