冷凍食品を改良「コスト増」も実現
1987年、冷凍食品部で、一般向け商品の担当課長をしていたときだ。エビ焼売やグラタンなど主力商品の新製品を計画し、幹部会に諮った。だが、猛反対に遭う。当時、別会社にしていた工場が全国に4つあり、どこも技術畑の幹部が社長に就いていた。その4人が「そんなに金をかけて、うまくいかなかったら、どうするのか」と口をそろえた。
冷凍食品は、市場の反応が即座に出る。原材料が見劣りしたり、消費者の嗜好の変化に遅れたりすれば、一気に市場シェアを失う。だから、商品開発にスピード感が不可欠だ。その前に担当していたスープが、改良を重ねていい商品に仕上げていく商品だったのとは、対照的だった。
それなのに、職場は漫然と、コストを下げることばかりに取り組んでいた。利益を確保しようと、より安い原材料を求め、費用のかかる新製品の開発には消極的。でも、それは逆だ。やはり、いい原料にきちんとコストをかけ、より質の高い商品を出さなくては、伸びていけない。
72年に味の素が冷凍食品へ進出したとき、商社と専用の会社をつくった。その設立趣旨に「普通のレベルを超えた商品を出していく」との決意が込められている。だが、発足当初の進取の精神は徐々に薄れていたようで、1年間、担当課長を務めて、設立趣旨とのズレを痛感する。
そこで、より品質を高め、手づくり感のある新商品を考案した。40歳での挑戦だ。ただ、初期の開発コストは大きい。だから、4工場のトップが首を横に振る。誰もが、品質のいい商品が望ましいことは分かっていても、リスクが怖い。「うまくいかなかったら、どうするのか」。その言葉は、その後も、担当が変わってからも、何度も聞かされた。
でも、現状に安住していては、会社は永遠に成長しない。そもそも、事業にリスクがゼロなどというものはない。失敗を恐れて何もしないことも、やはりリスクだ。要は「うまくいかなかったらどうするかではなくて、うまくいかせるようにする。そうできるように、みんなで力を出していく」ということだ。ずっと、そう、主張した。
「毋恃久安、毋憚初難」(久安を恃(たの)むこと毋(なか)れ、初難を憚(はばか)ること毋れ)――いまの平安が続くことを期待して過ごしてはいけない、何事も最初の困難に尻込みしてはいけない、との意味だ。儒教、道教、仏教を融合した中国・明代の処世書『菜根譚』にある言葉で、世の中は変化していくもので、現状に安住してはいけない、変化への対応で当初に訪れる困難から逃げてはいけない、と説く。伊藤流は、まさに、この精神だ。
結局、部長が「やってみろ」と断を下した。一気に進めるとコストが急増するので、2年がかりで段階的に進めることで、工場側も折れた。原価200円の品に20円のコストをかけて改良する場合なら、1年目に10円、2年目に10円かける、という具合だ。でも、1年目にそれなりの結果を出さないと、後があるかわからない。必死になって取り組み、翌年に早々と成果を出す。そこから、いい開発循環が始まった。
大手コンビニの人気商品に、「焼きたて直送便」と名付けたパンがある。1日に数回、焼いて間もない品を、消費者に届けている。この「直送便」の開発を、90年代半ばに手がけた。以前から、社内に、小麦粉を練った「ドゥ」を冷凍利用する技術があった。小麦は、冷凍したほうが品質を維持しやすく、様々な使い方も出てくる。例えば冷凍麺や餃子の皮。冷凍ピザの生地にも使える。当時は、そうした商品しか開発技術がなかったが、脹れるとパンになる理屈だから、何とかしたかった。
そこへ、コンビニ側から話が舞い込む。「パンの配送が1日1回だけで、売り切れも、商品の劣化も起きる。冷凍ドゥを使って、各地で焼きたてのパンを1日3回配送するシステムをつくりたい」。そんな話だった。いろいろと工夫を凝らしたうえで、共同で冷凍ドゥを量産する会社を設立。九州の専門業者から製パン技術の供与を受け、各地にパンを焼く拠点を配置する。
当初は、困難が続いた。製パン大手の影響下にある材料業者が、仕入れに応じてくれない。競争相手には協力できない、という。しかし、消費者の力は大きい。客の支持を集めると、仕入れ先も軟化した。まさに「毋憚初難」。40代の後半、冷凍食品部で業務用グループと新事業グループの長を兼ねていた時期だ。いま、1日に百数十万個と、世界有数の「ベーカリー」に育っている。