引き算の美学
McLaren Automotive Asiaのスタッフから、興味深い話を聞いた。
ブランドの圧倒的世界観、跳ね馬のエンブレムが持つ歴史、イタリアの情熱、美しいデザインを誇るフェラーリ。“感情の振幅”を求め、シザーズドアが開く瞬間の高揚街で注目を集める快感に魅力を感じるランボルギーニ。どちらも素晴らしい価値観です。
では、マクラーレンのお客さまは何を求めるか。
ひと言で申し上げるなら“精度”です。自分の身体の延長として、マシンが反応すること。ステアリングの1ミリ、アクセルの1ミリに、車がどう応えるか。そこに快感を見出すお客さまが多いんです。
象徴的なのは全ての車に「カーボンモノコック」が採用されている点だ。F1のレーシングカーで使われる超軽量素材で、服に例えると軽いジャケット(シャツジャケット=シャケット)を纏ってるような感覚だという。これは、「ひらひら」と自由自在に操作できるような感覚で、「スーパーカー(速い車)=乗り心地悪い」というイメージを一気に覆す。
また、視界良好でドライビングの蓄積疲労も少なく快適だ。
フェラーリやランボルギーニのように派手さも、ラグジュアリー感も、歴史もない。内装も一見飾りっ気がなくシンプルだ。
これは、「スーパーカーとしてのかっこよさ」ではなく、「ドライビングに集中するための最適解」を追及した結果だ。
まさにレスイズモア。引き算の美学である。
実際、多くのオーナーが口をそろえて語るのは、次のようなことだ。
「ドアを開けて、シートに身体を沈めた瞬間の“繭に包まれる感覚”」。「ステアリングを握ったとき、路面の凹凸が手のひらから脳に直結するような感覚」。「高速道路の合流で、右足にわずかに力を込めただけで、背中に伝わる暴力的な加速のGと、それを完全にコントロールしている自分への信頼感」。
判断基準は「自分の身体と、その車がどう対話するか」にある。
資産価値やリセールバリューを考えて持つのではなく、本当に車が好きな人が購入するので、「お宝としてガレージに保管する」「ハレの日だけ乗る」というよりは、日常使いでバンバン楽しむという人が多い傾向があるようだ。
ポルシェ911からのステップアップ
もう一つ、前述のスタッフから聞いた、象徴的な話がある。
日本のマクラーレンオーナーの層の一グループ、40歳前後のIT起業家や金融プロフェッショナルで、ポルシェ911からのステップアップ組の存在だ。
ポルシェ911からマクラーレンへ。この乗り換えルートは、フェラーリやランボルギーニへのそれとは、根本的に異なる欲望の構造を示している。
911に乗る人間は、もともと「運転すること自体」に価値を見出す人間が多い。ブランドのステータスよりも、ドライビングの質を重視する。その延長線上でマクラーレンに辿り着くということは、「見せるための車」ではなく「乗るための車」を究極まで追求した結果だ。
スペックで語れる車は、スペックで代替できる車だ。マクラーレンを選ぶ人間は、そのことを直感的に理解しているのだ。
そして、彼らの消費哲学を知る上で欠かせない要素がもう一つある。「物語」だ。


