経営そっちのけの権力闘争
では、どうやって経営力のある経営者を学校法人が持つか。学校法人の多くは、いまだに創立者の一族が実質支配しているケースが少なくない。株式の持分がないので、一族が支配する方法は理事長ポストを握ることだ。私学法も理事長の権限を薄める方向で改正がされてきたが、いまだに寄付行為(定款)で定めれば理事長に権限を集中させることがかなりできる。
だが、一方で、こうした一族理事長が経営者としての能力が高いかどうかが問題になる。後継として社会経験も乏しいまま、学園の業務だけを行ってきた人に、経営力を求めるのは酷だろう。しかも、平時の運航ではなく、乱気流の中を飛ばなければならない状況だ。それでも稀有な経営力のある一族理事長なら、カリスマ性もあり統率力もあって、経営がうまくいく、ということもある。実際にそういう学校法人もいくつもある。
問題は、オーナーのいない中堅以下の私立大学だ。これまでの護送船団の中で経営など考えなくても定員が充足してきた大学には、経営者はまず育っていない。多くの場合、教員上がりと職員上がりが、経営そっちのけで、権力闘争を繰り広げる。多くの大学で表面化したように校舎建設でのキックバックや業者からの賄賂に手を染め、学校法人を食い物にしていく。そんな大学が少なからず存在する。そんな大学が、国が言う「潰れる250大学」になっていくのだろう。
真っ当な「ガバナンス」構築が不可欠
これまで「経営」がなくてもやってこられた大学が生き残るには、まともな経営者を外部から招くことだろう。卒業生の企業経営者かもしれないし、全く関係のないプロ経営者かもしれない。それを可能にするためには真っ当な「ガバナンス」の構築が不可欠だ。大学の方針を決める機能を評議員会に持たせ、評議員会で経営力のある人材を理事に選ぶ仕組みを作る。世の株式会社の多くが取締役会の過半数を独立社外取締役にすることが一般的になってきたように、学校法人の評議員会や理事会も外部の人材を多数にするべきだろう。
株式会社の場合も「会社は誰のものか」という議論が長い間続いてきた。いわゆるコーポレートガバナンスの議論だ。会社には多くのステークホルダーがいるが、「株主など関係ない」という人はもはやいない。株式の過半を握る株主の賛成がなければ経営者は動けない。
だが、学校法人の場合、「大学は誰のものか」という議論はまだ始まってすらいないように思う。ガバナンスを強化するという狙いで行われた私学法改正も不十分なままだ。強い大学を生き残らせ、より高い教育を通じて日本の人材を育てていくためにも、大学のガバナンスをさらに強化していく必要がある。


