「かけがえのないもの」は簡単には見つからない

しかし、その「住みやすさ」は、恐ろしい罠を孕んでいる。

インフルエンサーが畏怖すべきリヴァイアサンなどではなく、ただの凡庸な人間や、単なる迷惑者に過ぎないと気づいた途端、たちまち魔法は解け、隠蔽されていた無数の矛盾が一気に噴出するからだ。その瞬間、信じていた「人生の目的」も「連帯」も、すべてが突如として消え去ってしまう。

仮にSNSの世界に熱狂するあまり、身近な社会関係・人間関係をないがしろにしていれば、現実にあったはずの目的や連帯もまた喪失してしまうだろう。

サン=テグジュペリの名作『星の王子さま』には「君のバラをかけがえのないものにしたのは、君が、バラのために費やした時間だったんだ」という印象的な言葉がある。漱石が説く「住みにくい人の世」もまた、面倒ではあるが、多くの時間を費やさなくては「かけがえのないもの」は見つからないようだ。

その「費やす時間」とは、決して美しい対話を指すのではない。インフルエンサーへの服従や、アルゴリズムに急かされた正義の熱狂から意図的に身を引き、目の前にある「現実の摩擦」を引き受けながら、徐々に解消していくという時間のことだ。

「無賃労働」を提供している

白黒のつかない曖昧な人間関係に耐え、折り合いをつけながら現実のコミュニティに留まり続けること。それは、SNSの閉ざされたユートピアで即席の連帯を得ることに比べれば、ひどく非効率で、はるかに長い道のりになる。しかし、その摩擦に耐え続ければ、幻影のリヴァイアサン(インフルエンサー)にすがる必要はなくなる。

物江潤『SNSと交換様式 しらけるという倫理にむけて』(春秋社)
物江潤『SNSと交換様式 しらけるという倫理にむけて』(春秋社)

一時の心地よさや偽りの連帯のために、自分自身の人生という大切な時間を、SNSというシステムに明け渡すべきではない。その連帯がもたらす熱狂はエンゲージメントと化し、プラットフォーマーやインフルエンサーの利益に変換されているだけだ。いわば、彼らの経済的な利益のために、人々は熱狂させられているのである。

「偽りの熱狂や連帯」と引き換えに「無賃労働」を提供するという交換の不当さに気づければ、そこから降りるのは難しくないはず。SNS上で自分は誰に何を差し出し、そして何を得ているのかを冷静に見つめなおすことで、SNSの罠やデマから身を守ることができるのだ。

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