矛盾は簡単には認められない

たとえば、インフルエンサー(偉大な国王)が「デマだとする指摘はフェイクニュースだ」と発したり、デマを真実に書き換える陰謀論を唱えたりすればよい。忠実な臣民たるユーザーたちは、それらを素直に信じるだろう。

幾度となくデマや過ちを指摘され、無数の矛盾が露呈したSNS上のコミュニティ(社会)が存続し続けるという現象を、不可解に思うかもしれない。しかし、むしろそれは逆である。明白な矛盾が生じても、それを覆い隠してしまうリヴァイアサンのような存在が内面化しているからこそ、この社会は強い。

また新たな矛盾や欠陥が生じても、たちまちユーザー自らが補修してしまうだろう。そもそも、補修できず社会が崩壊した途端、「人生の目的」や「連帯」を失うのだから、そう簡単に過ちを認められるはずがない。

それでは、こうしたSNSに潜む罠からどうやって身を守ればよいのだろうか。解決策は、実はSNSの中ではなく、その外にある煩わしい「日常」にある。

SNSに夢中になるワケ

夏目漱石の『草枕』の冒頭には、あまりにも有名な人の世に対する慨嘆が記されている。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という嘆きは、現代においても健在だ。

夏目漱石
夏目漱石(写真=小川一眞/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

現実社会は、SNS上のように正義/悪が明瞭に分かれる、白黒がはっきりした場所ではない。至るところに摩擦や矛盾を抱えた、どこまでも「住みにくい」場所だ。

だからこそ、私たちはSNSが差し出す誘惑に、容易に魅了されてしまう。そこには漱石が描いたような「住みにくさ」をもたらす煩わしさがないからだ。自分と価値観を同じくする極めて同質性の高い人々が、共通の正義の下に一致団結し、しかもリヴァイアサンたるインフルエンサーが不都合な矛盾をすべて即座に覆い隠してくれる。

その閉ざされた社会は、一見すると不完全な人間関係に満ちた現実世界よりも、はるかに住みやすく、清々しいユートピアのようにさえ感じられる。この強烈な誘惑は、決して他人事ではなく、執筆している私自身を含めたあらゆる現代人に等しく向けられている。