社会の欠陥を国民が補修している
さて、国家と国民の関係性は、どのように捉えるのが適切だろうか。
ある人は支配―被支配の関係を見るかもしれないし、また他の人は国民こそが主であるべきという関係性を見て取るかもしれない。
しかし、両者の関係は、互恵的に見える交換により成立していると見なせる。国民は法に従う(服従する)代わりに、国家はインフラや福祉を提供し保護を受けるという交換だ。互いに利益を得ているからこそ、この関係性は強固になる。
ただし、この互恵的に見える関係性には、多くの矛盾や欠陥がある。圧政により国民が苦しい生活を強いられている場合や、そもそも国家が国民を保護する力を持たないケースなど、その具体的な例は様々に考えられる。そしてそのいずれもが、国家を崩壊に導く一因になる。
そもそも、どのような社会においても、こうした矛盾や欠陥はつきものだ。不可避的に生じてしまうことは論を俟たない。が、それらを人々(国民)が自ら補修してしまうという不思議なことがあるのだ。
インフルエンサー=国王
たとえば、国家がヨブ記に登場するリヴァイアサンのような畏怖すべき存在として、国民の内面(心の中)に立ち現れたらどうだろうか。
畏怖すべき存在に対し、人々は自ら服従するに違いない。そればかりか、他国に対抗しえないはずの武力は実力以上に強大なものと錯覚されたり、不可解な振る舞いはうかがい知れない深謀遠慮の結果として解釈されたりすることで、たちまち矛盾や欠陥は覆い隠されてしまうだろう。
違った見方をすれば、こうしたリヴァイアサンのような存在が人々に内面化されてはじめて国家―国民の関係性および社会は安定し、そうでない場合は早晩、瓦解する運命にある。
こうした現象は、SNSにおいても同様だ。まるで国王のように振る舞うインフルエンサーが、無数のデマを含んだ極論・暴論を発する。その論のなかには巨悪とされる敵がおり、ユーザー(国民)たちは使命感を持って攻撃の限りを尽くし炎上を起こす。
インフルエンサーはエンゲージメント(コメント、いいね、リツイートなどの行動から算出される、ユーザーの反応の程度を示す指標)という名の利益を得る一方、ユーザーたちは正義の物語に奉仕するという「人生の目的」や共に戦う仲間との「連帯」を獲得するのである。
仮にデマであるという指摘がなされたとしても、インフルエンサーがリヴァイアサンのような畏怖すべき存在となっていれば、先述と同様の理由によりその矛盾は覆い隠されてしまう。

