宇宙を舞台にしたある作品を見た。

アンディ・ウィアー著『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(早川書房)と同書を原作とする映画である。人類の危機、未知の存在、そして協働――そうした要素が並ぶ、典型的なSFの設定である。原作を読み終えたときに残ったのは、壮大な余韻ではなく、奇妙な違和感だった。「本当にこの物語は宇宙の話なのか?」という問いである。

物語の中盤、主人公は宇宙の深部でまったく予期しない存在と出会う。

重要なのは、出会った瞬間から両者の間には、言語も価値観も物理的な体の仕組みすら、何一つ共通点がないという事実だ。相手が何を考えているのか、どんな感情を持つのか、そもそも「感情」という概念すら当てはまるのかどうか――主人公には最後まで完全にはわからない。文字通り「完全に理解不能な他者」との出会いである。

二者は、理解できないまま、少しずつ「共通で機能するもの」を積み上げていく。完全な理解は諦め、代わりに「一緒に動くための仕組み」を一つひとつ構築していく。意図を理解できなくても、行動の結果が再現できるならば――という原理で、信頼が少しずつ積み上がっていく。

ここで重要な問いを立てよう。「異星人」とは何か。

それは一言で言えば、「完全に理解不能な他者」である。言語が違う。価値観が違う。生き方も違う。前提となる世界の見方そのものが異なる存在。

ウクライナ情勢。イラン情勢。台湾情勢。国家同士の対立は、単なる利害の衝突ではない。歴史、宗教、価値観、政治体制――あらゆる前提が異なる中で、互いを完全に理解することは不可能に近い。ロシアとウクライナは同じスラブ系の民族的・言語的ルーツを持ちながら、戦っている。イランと米国は、1979年のイスラム革命以来、45年以上にわたって「互いを理解できない他者」として対峙し続けている。

そしてもう一つ、決定的に重要な「異星人」がいる。AIである。

私たちはすでに「異星人だらけの世界」に生きている。ここで問われるのは、「理解できるかどうか」ではない。むしろ逆だ。理解できないことを前提に、どう協働するか、である。

(写真=時事通信フォト)