社会への不満のはけ口

だが少数のマニア向けの笑いと大衆向けの笑いには大きな隔たりがあるはずだ。なぜここまでタモリがメジャーになったのか疑問に思うひともいるだろう。

背景には、当時の社会状況がある。

1960年代から1970年代前半までの高度経済成長を通じて、「一億総中流」と呼ばれるほど日本人は豊かになった。

しかしそこには弊害もある。大衆が豊かになった結果、社会全体が建前化していく。タモリに言わせれば、「偽善」が蔓延した社会というわけである。密室芸は、そんな社会へのタモリ自身の不満のはけ口になっていたと言える。

ただしそれだけなら、タモリはカルト的な芸人として終わっただろう。一方で、豊かになったがゆえに社会の側にもタモリの「毒」を受け入れる土壌も生まれていた。

まず、経済的余裕が生まれた社会のなかで、「なんでも遊びにしてしまおう」という気持ちが強まった。最たるものはお笑いで、たけしやさんまが台頭するきっかけになった1980年代初頭の爆発的な漫才ブームは、その象徴である。

もっともさんまをイジった男

加えて豊かさは、高学歴化をいっそう促した。40%近くが大学や短大に進学する時代の到来である。笑いにも知的なものが求められるようになった。だからこそ、一定の教養を前提にした「四か国語麻雀」のようなネタが多くのひとに受け入れられた。

つまり、遊び志向と高学歴化。この2つが、タモリのブレークを支えたと言えるだろう。

リモコンでチャンネルを変えている手元
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1982年に司会に就任した『笑っていいとも!』(フジテレビ系)初期の頃のタモリは、まだ折にふれて強烈な「毒」を発揮していた。名古屋の人びとの方言や生態を誇張してネタにする「名古屋ネタ」も話題になったし、「思想のない歌」を高く評価する一方でフォークやニューミュージックを情緒的過ぎると言って公然と批判していた。

関西伝統のベタな笑いを代表するさんまをいじっていたのも同様だろう。『いいとも!』のレギュラーだったさんまとの雑談コーナーでは、事あるごとにさんまのちょっとした関西弁や仕草まで細かく指摘し、ここでも誇張してまねるなどいじり倒していた。後にも先にも、明石家さんまをここまで徹底して笑いのネタにしたのもタモリだけだろう。