細木の味方をした「弘道会の大物ヤクザ」
周知のように現六代目山口組の組長は司忍であり、司興業はこの司組長が創建し、森健司が後を継いで、弘道会でもピカイチの組である(司興業は現在山口組の直系組、森は司興業総裁)。
森健司には以前、取材したことがあり、顔見知りだった。06年4月24日、この森から私の携帯に電話が掛かってきた。用件らしきことは山口組の若頭補佐・滝沢孝総長がたった今、大阪高裁の判決で拳銃不法所持が無罪になったというもの。
暴力団の親分はボディガードの拳銃所持で利益を受けるのだから、拳銃所持で共謀共同正犯に問われるのは当然のことと私は考えていたから、この件もいずれ最高裁で有罪になるはずと踏んでいた。
森の話に興味は持てず、場つなぎのようにして、今度週刊誌で細木について書くことになりそうだと話した。
森は「ふーん、細木について書くのか」と一瞬考える気配になり、「後でまた電話するかもしれない」と電話を切った。私はもちろん森が細木と関係があるのか、ないのか、何一つ知らなかった。数分後、森から再び電話があり、「明日あたり会えないか。自分の方でどこでも出向くから」と言った。私は恐縮だから、自分が行くと答えた。
「細木の記事はやめられないか」
次の日、南青山3丁目の森東京事務所に出かけた。結局、表参道の交差点に近い喫茶店で会ったのだが、彼は「細木の記事はやめられないか。あんたがやめたと言えば、それで終わりだろう」と言い出した。
私は「やめるわけにいかない」と答えた。森は「そうか、やめる事はできないか」としばし考えていたが、そのとき後ろの席に控えていた若い者が「細木数子さんから電話です」と森に携帯電話を差し出した。森は受け取り、「ええ、やめられないみたいですよ。ええ、ええ」と受け答えしていた。
その後、彼は「あんたが書くのをやめないというのなら、仕方がない。彼女は悪い女じゃないし、テレビでもいいことも言っている。できるだけ柔らかく書いてほしいんだが」と言い、封筒に入った札束を私の背広ポケットにねじ込もうした。
ここで受け取れ、受け取れないというやりとりが続き、結局、森は渡すことを諦めてくれた。
私はこうしたやりとりを細木との裁判の準備段階で明らかにした。森はこの事実を否定するはずと読んでいたのだが、森は意外にも公正証書にした彼の言い分中50万円を溝口に渡そうとしたと認めていた。
「細木は悪いことをしていないよ」
もう一人の元最高幹部は名刺に「住吉会会長補佐、住吉一家家根弥八代目総長・金子幸一」とあり、ボールペンで肩書き部分を消した名刺を持ち歩く通称バービーこと金子(故人)である。
「今は現役を退いたが、新しい名刺を持たず、古い名刺で代用しているから」と彼は会った際、言い訳を言いながら名刺を渡したが、彼を「広域暴力団の元最高幹部」と表現することは間違いではない。
金子は私に電話を架けてきた際、ぬけぬけとこう言った。
「あんたの取材を受けた後、あんたから取材があったと細木に電話した。細木の家が置屋みたいなことをしていたのは事実だけど、自分はパン助みたいなことはしていないと細木は言っていた。細木はそこまで認めてるんだ。どうだろう。あんたがいまさら細木について二番煎じ、三番煎じのことを書いてもしょうがないじゃないか。細木は悪いことをしていないよ」
私と編集部はこうした暴力団からの妨害工作を跳ね返して連載を継続、完成させたし、裁判でも細木に訴えを取り下げさせ、実質的に勝訴した。
細木の周りには登場しただけでも稲川会、小金井一家、住吉会、山口組と錚々たるやくざの首脳部が雁首を揃えていた。彼女は彼らとツーカーの関係を結んで、これまで事業を回してきたのだろうが、それにしても、やくざにしては珍しく死後にもカネを残した女やくざであり、世評から逃げ切った女傑といえるかもしれない。


