戦後日本を生き抜いた典型的な女性

ところで私は、もともと細木について書こうとは思っていなかった。彼女出演のテレビ番組も見ていなかったから、なにやら目障りな女がいるなぐらいの認識だった。もちろん過去、彼女に会ったこともない。

しかし2006年3月、たまたま週刊現代編集長(当時)の加藤晴之さんに会ったとき、彼から「細木数子について連載しないか」といわれた。なるほどよく考えると、細木は扱うに値する女かと思い、引き受けることにした。

4月から編集者と下調べを始め、彼女は戦後日本の焼け跡で育って泥水の中で生き、勝ち抜いた一人の女として、典型的な女性かもしれないと思い始めた。

だが、細木数子は連載を始める前から、編集部が出した「取材インタビューのお願い」に、弁護士を通じて拒否の回答を寄越よこし、「名誉毀損などの部分があれば、そのときはまた対応する」などと牽制けんせい球を投げてきた。

また事前取材の段階で会った広域暴力団の最高幹部、元最高幹部から、連載の中止を求められもした。しかも細木は『週刊文春』誌上で反論インタビューの連載を始めた。

当初、連載は細木批判を意図したものではなかった。事実を掘り起こし、淡々と客観的、中立的にリポートできればと考えていた。

6億円もの損害賠償を求めてきた

だが、細木がこう出てくる以上、取り澄ましてもいられない。連載は歯に衣着せなくなった。おまけに細木は6億円もの損害賠償を版元の講談社に求める民事裁判まで起こしてきた。

裁判所の看板
写真=iStock.com/y-studio
6億円もの損害賠償を求めてきた(※写真はイメージです)

連載は8月まで14回続いた。連載中、一貫して感じていたことだが、細木はあまりに敵が多すぎる。「反細木」で踏ん張り、旗幟鮮明にした我々には多くの読者がついてくれたし、細木が過去に袖触れあった人々も、一も二もなく我々に取材協力してくれた。何人もの元関係者が細木や暴力団に対する怯えを捨てて、「秘密の暴露」に踏み切ってくれたのだ。

連載4回目にはタイトルに「細木数子は暴力団最高幹部に私の原稿つぶしを依頼した」と記した。

週刊誌では暴力団最高幹部の名や役職を伏せたが、今となっては時効だろう。実名を明らかにすれば、一人は山口組系弘道会の司興業・森健司組長である。