国民の中に「男系男子」は多数いる
これは旧宮家系の特定個人の私見ということにとどまらない。明治憲法下の通説では、“皇統に属する”とは「皇族タル身分ヲ有スル者ノミ」とされていた(美濃部達吉『憲法撮要』 改訂第5版、昭和7年)。さらに今の憲法のもとでも同じく、皇統を「皇族の範囲内にある」方々に限定する有力な学説がある(里見岸雄氏『天皇法の研究』昭和47年[1972年])。
このような見方が出てくるのには理由がある。
国民の中にも生物学的な意味での“皇室の血筋”を引く人が多く含まれている。そのため、現に「皇族の範囲内にある」という限定を外すと、皇統の意味が際限なく広がってしまうからだ。
たとえば、先の引用文に「旧皇族の子孫」(旧宮家系男性)と並んで出てきた「清和源氏」「桓武平氏」は、よく知られているように、それぞれ前者は清和天皇の血筋を引く源氏、後者は桓武天皇の血筋を引く平氏をさす。それらの子孫は、現代の国民の中にも少なからず存在するとされている。
また別に、江戸時代の天皇(後陽成天皇、東山天皇)の皇子やその子が摂関家(近衛家、一条家、鷹司家)の養子になった事例がある。いわゆる「皇別摂家」だ。国民の中にはその系統が今も続いている。
「ある計算によると……鷹司系が32名、近衛系が9名、一条系が10名なのだそうだ」(八幡和郎氏『新潮45』平成29年[2017年]1月号)という。
これらの人たちは、男系の血筋なら旧宮家系子孫よりもはるかに今の皇室に近い。
他にも、明治時代から昭和20年(1945年)にいたる間に14名が臣籍降下している。非嫡出子だったので皇籍になかった男系の血筋を引く男性も、2人(ともに旧華族の伯爵)いた。などなど……。
実際の血筋は「ほとんど他人」
もし「皇族の範囲内にある」という限定を外せば、これらの人々も皆「皇統に属する男系の男子」ということになる。彼らと、親の代から一般国民である旧宮家系子孫を区別する、客観的な根拠があるのだろうか。
そもそも養子縁組の対象とされる旧宮家系男性は、天皇からの血縁が遠すぎるために、皇室の内規だった「皇族の降下に関する施行準則」(大正9年[1920年])では被占領下の事情に関係なく、もともと皇族の身分を持ち得ない人たちだった。
何しろ男系では崇光天皇(北朝第3代)の皇子の栄仁親王からの血筋だ。天皇から世代数では20世代以上、年数では600年以上も離れている。
被占領下の皇籍離脱まで名分上はたしかに皇族だった。だが、実際の血筋としてはほとんど他人に近い。
その上、皇族の身分を離れたのが昭和22年(1947年)だから、それからすでに80年近い歳月が流れた。親の代から生まれながらの民間人だ。
このような旧宮家系子孫の国民男性を「皇統に属する男系の男子」と言えるかは、大いに疑問だろう。もし疑問がぬぐえないのであれば、万が一その子孫が皇位を継承すれば、「皇統」はその時点で断絶したと見なされかねない。
たとえば、鎌倉幕府を開いた源頼朝は清和天皇から血縁がちょうど10世代離れた男系男子だった(旧宮家対象者の世代の遠さの半分ほど)。もしその子が養子で皇族になり、その子孫が皇位を継承すれば、それはもはや新しい「源氏王朝」の誕生と見られるだろう。

