「憲法自身が認めた例外」という解釈
現在でも、天皇や皇族と一般国民との間には身分上の違いがある。一般国民には戸籍があるが、天皇や皇族にはそれがない。
天皇や皇族には「皇籍」があり、皇族の家に生まれたり、そこに嫁いだりした場合には皇籍を与えられる。天皇や皇族に「姓」が存在しないのもそれが関係する。戸籍では必ず姓が必要になる。
その点では、現在においても身分上の差別があると捉えることもできるが、憲法学の通説では、天皇や皇族のあり方については、「憲法自身が認めた例外」と解釈されている。
戦前の社会においては、最も上には天皇と皇族が位置した。その下に、「皇室の藩屏」とも呼ばれた「華族」がいた。藩屏とはもともと周囲を取り囲む垣根のことで、華族には「皇室を守る役割」を期待された。
具体的には、天皇や皇族が結婚できるのは、皇族と華族だけだった。華族は、皇族に嫁ぐ、あるいは側室を生む供給源だったのである。
華族になれたのは、明治時代以前の公家や大名で、ほかに明治維新で功績を上げた人間などが含まれた。華族は、貴族院議員になったり、華族学校(のちの学習院)に無試験で入学できるといった「特権」を与えられた。
現在放映されているNHKの朝ドラ「風、薫る」に登場する大山捨松は華族の一員で、公爵夫人である。ただ、華族は国から経済的な援助を受けられたわけではないので、困窮し、華族としての体面を保つことができなくなり、爵位を返上するようなこともあった。
戦前社会に厳然とあった「身分差別」
この華族の下に位置したのが「士族」である。士族とは、江戸時代には武士だった人間たちである。
明治時代になってすぐの段階では、家禄という俸給を与えられたが、それはすぐに廃止され、武士の象徴である帯刀もできなくなった。その結果、多くの士族が没落した。「風、薫る」の主人公の一人、一ノ瀬りんは家老の娘なので士族だった。
では、一般の国民はどう呼ばれたかといえば、士族の下の「平民」だった。
皇族、華族、士族、そして平民という身分秩序が戦前には厳然として存在した。結婚で皇族を離れたり、華族が爵位を返上する以外、その地位が変更されることはなかった。
そこには現在とはまったく違う社会が展開していたのだが、あるとき私は、まざまざとその違いを体験した。
私の祖父は、明治末期に東京帝国大学で学んでいる。英語を専攻したようで、卒業後は旧制中学の先生になったものの、その後、学校を辞めてサラリーマンになった。祖父は私が小学校に上がる頃に亡くなるが、晩年は認知症だった。それもあって、とてもエリートとしての人生を送ったようには見えなかった。
そこで私はあるとき、祖父が本当に帝大の学生だったのかを調べてみた。そこで意外な発見をしたのである。
