日立製作所「草むしりさせて賃金を払う」

電力の使用規制が始まり、オフィスの照明が制限されたりと、企業はあらゆる節約を迫られることになります。それくらいで間に合うはずもなく、たくさんの工場が操業一時停止に追い込まれ、大騒ぎになっていきました。

あのとき、工場の操業を一時停止すると発表していた日立製作所の役員に取材したことがあります。「レイオフをやるんですか」と質問すると、「工場の操業は停止するが、従業員は絶対に解雇しません。賃金もちゃんと払う」という返事でした。そのために、社員は出社させるという話でした。

「工場は動いていないのに仕事はあるのか」と重ねて質問すると、「工場の草むしりをしてもらう」との答えでした。工場は操業しないので売上がないにもかかわらず、草むしりで操業しているときと同じ給料を払う、というのです。これには、感心しました。ただ、日立市という日立製作所の城下町だけの話だったかもしれません。

手で草を取り除く
写真=iStock.com/okugawa
※写真はイメージです

オイルショックの影響は強烈で、翌年、1974(昭和49)年4月入社の内定をもらっていたにもかかわらず取り消しになったり、状況の見通しが立つまで自宅待機を命じられる学生も多くいました。新入社員を雇えるような状況ではなかった、というわけです。

唯一の救いは、給料も上がったこと

70年代半ばからインフレーション(インフレ)が進んでいたのですが、オイルショックが拍車をかけました。いろいろなものが、どんどん値上がりし、「狂乱物価」という言葉が生まれたほどです。日本経済は冷え込み、1974(昭和49)年の実質国内総生産(GDP)はマイナス0.2パーセントと、戦後初のマイナスを記録します。不況にもかかわらず物価が上がる、まさにスタグフレーションの状態でした。

ただ、賃金も上がりました。1974(昭和49)年の春闘では、記録的とも言われた大幅賃上げが実現しています。日本経済新聞社でもけっこうな賃上げがあって、さらにボーナスで会社との交渉について、会社側の提示を受けいれるかどうか所属部の労働組合員会議がありました。

私はかなり働いているつもりだったので、「もっと多くて当然だ。会社側にはもうひと押しすべきだ」と意見を述べました。そうしたら、先輩記者の何人かが「会社の業績も大変なのだから会社回答を受け入れるべきだ」と言い張るので、かなりもめました。