大学序列の“数値化”が生む弊害

こうした流れは、大学の外部にも影響を与えます。学生や保護者は「順位の高い大学イコール良い大学」と考えるようになり、メディアも教育の質を反映したものとしてランキングを報じます。大学の活動は本来、教育・研究・社会貢献など多面的であるにもかかわらず、順位というひとつの数値指標だけが大学の価値を決めるかのような風潮が広がっていくのです。

結局のところ、数値による評価は社会の共通言語として便利なものなのです。数値化することで、誰もが納得しやすくなります。けれども、その便利さと引き換えに、私たちは「数値で示されない価値」を見失っていくのです。教育の質、学びの深さ、研究の創造性といったものは、簡単にスコア化できるものではありません。それでも私たちは、数字にすれば客観的に表現できるという幻想にとらわれています。

日本国内の大学の状況に目を向けると、最も多くの人々の行動を左右し、日本社会全体の価値観として浸透しており、一種の「文化」ともなっているのが「偏差値(受験偏差値)」ではないでしょうか。

東京大学安田講堂、内田祥三(1925年)
東京大学安田講堂、内田祥三(1925年)(写真=Kakidai/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

“受験偏差値”に縛られるのは日本だけ

そもそも偏差値(Tスコアとも言います)という値は、統計的に得点分布の中で平均値からどれだけ離れているかを示す数値にすぎません。心理学や教育測定の分野では、あくまでも集団内での位置を理解するための「統計的指標」として用いられるものです。偏差値そのものには、「高い=良い」「低い=悪い」という価値判断は本来含まれていません。

ところが、日本では一般的に、「偏差値」は「受験偏差値」を指すのが当然になっているのです。

中学受験をする小学生も、高校受験をする中学生も、大学受験をする高校生も、「偏差値」という数値から大きな影響を受けます。偏差値が高い学校は「良い学校」であり、受験生だけでなく学校関係者も「自分の学校の偏差値を高める」ことが目標となり、それが「良い学校経営」にすらつながっていくのです。

さらに「偏差値が低い学校」は揶揄やゆの対象になり、「存在する価値がない」といった陰口すらあるのです。ここまで社会的な影響を与える「数値」も珍しいのではないでしょうか。

この「受験偏差値」という数値は、日本だけに存在するものです。国外でも、試験の得点を偏差値で表現する場合はあります。しかし、偏差値に基づいて「学校を序列化する」表現は、まず行われません。