読書量と人格に関係はあるか。『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』(朝日新書)を出した作家の林望さんは「本を読んだからといって偉いこともなく、読まないから駄目だということもない。人の教養や善悪は、そういう単純なものではない」という――。
書店で本を手に取る男性
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読書量と人格は比例しない

「これは絶対に読まなくてはいけない本だ」というように、読書を人格涵養かんようの必須栄養のように言う人がありますが、正直言って、そうしたことはないというのが私の考え方です。

別に本を読んだからといって偉いこともなく、読まないから駄目だということもない。

人の教養や善悪というものは、そういう単純なものではないのです。学問をした結果、その少々の学を鼻にかけて偉そうにする人間などもたくさんいるから、いわば読書量と人格は比例しないのです。

読書がもし本当に人を偉くするのであれば、大学教授などはみんな人格者でなければならないはずですが、現今の状況を見ていると、不道徳で人格の宜しからぬ大学教授などは掃いて捨てるほどいる、それもまた一つの厳然たる現実です。

ともあれ、読書家を以て自任し、その知識をひけらかして、「君、これ読んだ? あ、読まないの?」とか言って人を軽侮したりおびやかしたりするような人は、まことに感心しないもので、生半可な読書が、かえって人格をいやしくしたりもするのです。

だから、「これは人生必読の書」なんていって、万人に共通するものなんかありはしないし、もしそういうことを言う人がいれば、ちょっと眉に唾をつけておいたほうがよろしい。

「絶対にこの本は読め」は一種の傲慢

よく考えれば、人それぞれの人生のなかで、人ごとにもっとも大切なことがあるはずですね。たとえば、農家であったら、毎年毎年、種を蒔いて立派な稲を作る。そうして、それを30年、50年続けて、家族を養い、人とよく調和して平和に暮し、結果的に無事幸福な一生を送ったという人がいるとすれば、それは充分に立派な人生です。そこでは彼が本を読んだか読まなかったか、なんてことはどうでもよいことです。

つまり、本を読んだからとてすなわち偉くはないし、また本なんか読まなくとも、偉い人は偉いのです。だから、本を読んだから利口になる、あるいは立派な人間になる、というふうには思わないほうがいい。

「絶対にこの本は読め」などと言うのは、一種の傲慢なる意見です。自分が偉いということをこのような形でひけらかしているにすぎないと思うので、あまりさようの人の言うことを信用してはいけません。

結局のところ、「万人すべからく之を読むべし」と推奨する本など存在しない……人間、一人ひとりの性格も違い、生まれた家も人生の巡り合わせも違い、興味の持ち方も違っている。

そうすると、それは十人十色、百人百様ですから、「100人が100人全部がこの本を読まなかったらだめだ」という本は、理論的にはあり得ないと私は思います。