「スラムの女王」「セックス詩人」

差別を作品に昇華することで、玲子は世間に復讐の狼煙のろしをあげた。マスコミには「美しき人非人」「スラムの女王」「セックス詩人」と書かれた。玲子はインタビューに「文学いうもんはフリチンでね、血刀下げて斬り込んでいくもんじゃないですか」と答え、情事をもってこそいいものが書けるから亭主はヘトヘトだと惚気のろけた。

『婦人公論』『宝石』をはじめ週刊誌などにも引っ張りだこになり、女性週刊誌の人生相談の回答者にもなった。アシンメトリーのボブヘアにチャイナ服、大きな帽子をかぶるスタイルがトレードマークになった。

テレビ出演、『わが闘争』映画化の打ち合わせなど東京の仕事が増えたため、夫を岡山に残して東京渋谷の代官山にアパートを借りた。

妹の激しい人生も本にした

翌年6月に出版した『わが妹・娼婦鳥子』も壮絶な内容だった。

鳥子こと三女の敏子は15のときに卵丼につられて女郎屋に行き、主人に乱暴されて女郎となった。年齢が足りずに家に帰されてからは印刷工場や食堂、ホテル、レストランなどに住み込んで、同僚を相手に売春をした。父は娘の「商売」を許さず、ハサミで鳥子の髪をめちゃくちゃに切ったが、鳥子はスカーフを巻いていつも通り働いた。

堤玲子著『わが妹・娼婦鳥子』三一書房、1968年
堤玲子著『わが妹・娼婦鳥子』三一書房、1968年

あるとき、鳥子を嫁にもらいたいという奇特な男性が現れた。鳥子は見栄を張ってほとんど空の段ボール箱を嫁入り道具として大量に運び込んだ。が、新婚旅行の晩に夫が性的不能者とわかり、「畜生! バカにしやがって!」と家に帰り、翌日の夜には岡山駅前で立っていた。次の結婚相手は居酒屋で出会った土方風の男性。前科三犯の妻子持ちで、妻子を追い出して鳥子を住まわせた。夫婦は清美という娘を授かったが先天性骨髄炎だった。

2年後、鳥子の浮気で結婚は破綻。鳥子は下の妹の美津とボロ家を借りて住み始めた。美津も鳥子と似た境遇で、結婚相手は2人連続で公金横領者、おまけに皮膚癌を患っていた。どう読んでも悲惨な状況だが、玲子の筆致はどこかユーモラスで軽やかさすら感じさせた。

佐久間良子主演で映画にもなる

本が出てすぐ、一冊目の『わが闘争』が中村登監督、佐久間良子主演で映画化された。地元もロケに使われ、連日野次馬が並んだ。玲子は主演の佐久間良子にチェーンの使い方を指導するなど熱心に関わったが、主人公「怜子」(一字違い)が障害のない子どもを出産する結末には綺麗事きれいごとすぎると憤り、「わが原作映画を論難する」(『映画芸術』)を書いた。