平成に入ってからのわずかな消息

1985(昭和60)年4月9日、母死去。父はかつての姿が想像できないほどに泣いて立てず、棺の釘もなかなか打てなかった。家族それぞれの思いはあるが、今はもうただ母が懐かしかった。玲子は1988(昭和63)年4月30日にその顛末を『わが怨慕唄』として出版。同じ年の10月には最後の本『わが犯罪家族』を出した。

堤玲子著『わが犯罪家族』三一書房、1988年
堤玲子著『わが犯罪家族』三一書房、1988年

2000年以降の玲子の消息はあまり多くない。

もっとも具体的なものは、南川泰三『グッバイ艶』の記述であろう。南川は、玲子が「大政小政」と称して連れていた女性のうち、大政と呼ばれた艶と玲子を介して知り合い、25年連れ添って、最期を看取った人物である。

艶の死から一年後の2004(平成16)年春、南川は玲子を訪ねて岡山に向かった。玲子の家は岡山駅からバスで一山越え、漁師町を抜けて海沿いの道に出たところにある質素な平屋だった。出迎えた玲子は、以前と変わらぬボブヘアに大きな帽子、色褪せたチャイナ服姿。やや足を引きずってはいたが、無邪気な笑顔が74歳とは思えなかった。現在は夫の年金で暮らしている由。文机には同人誌に寄稿する予定の原稿が乗っていた。ときおりファンが訪ねてくるものの、文学を語り合う相手がいないことを嘆いていた。

「落ちぶれてなんかいない」

その時の原稿だろうか、最後に確認できる玲子の作品は、萩原朔太郎について書いた詩「もんしろてふ、はた、はた、はた」で、2005(平成17)年7月25日に発行された『江古田文学』第59号に掲載されている。前述の南川は『グッバイ艶』のモデルにしたことへのお礼を言いにこの年の夏、再び玲子に会いに行った。通院中という病院で待ち合わせ、近くのジャスコの喫煙所で2時間ほどしゃべったという。玲子は、まるで落ちぶれたかのように書かれたことが気に入らないと文句を言い、プライドの高さは健在だった。

玲子が存命であれば95歳、いまなお健在であっても不思議はない年齢である。

もっとも、堤玲子という人は、どこにいようともその奔放なバイタリティで、美青年たちを追いかけ続けているようにも思われるのである。

・参考文献
堤玲子『わが闘争』三一書房、1967年。堤玲子『わが妹・娼婦鳥子』三一書房、1968年。堤玲子『美少年狩り』潮出版社、1974年。堤玲子『わが闘争宣言』三一書房、1974年。堤玲子『わが怨慕唄』三一書房、1988年。堤玲子『わが犯罪家族』三一書房、1988年。南川泰三『グッバイ艶』幻冬舎、2011年。『吉行淳之介対談浮世草子』三笠書房、1971年。竹村博「撮影報告わが闘争」『映画撮影』(28)日本映画撮影監督協会、1968年7月。冬園節「われらの仲間 近代詩人」『詩学』13(4)(128)詩学社、1958年3月。「“美しき非人”堤玲子の性の歌」『週刊大衆』双葉社、1968年2月29日。「肉親の性をあばきすぎた堤玲子の闘争」『週刊サンケイ』扶桑社、1968年7月8日。「堤玲子の妹『娼婦・美津の遺書的半生記』」『女性自身』光文社、1968年8月12日。堤玲子「私の原作映画《わが闘争》を論難す」『映画藝術』16(10)(9月号)編集プロダクション映芸、1968年9月1日。「くやし涙のニュース あの堤玲子さんが、夫に駆け落ちされた! なぜ?…夫が手をとって逃げた相手は人妻・26才」『女性自身』光文社、1968年11月18日。「亭主よ、出てきてくれ、戻ってもええ、戻らんでもええ…」『女性自身』光文社、1968年11月25日。「夫に逃げられたセックス詩人の狼狽」『週刊サンケイ』1968年12月2日。「『わが闘争』堤玲子の小説のあとの“わが家の闘争”」『週刊ポスト』2(32)(51)、小学館、1970年8月14日。「あのセックス詩人・堤玲子さんは“駆け落ち夫”と別れて…『結婚しようという人はもういない』と現在第3作目を執筆中」『女性自身』光文社、1970年10月17日。「タブーを破った有名女性の憂き目」『週刊サンケイ』17(29)(898)扶桑社、1968年。「故郷にニシキを飾った日」『女性セブン』小学館、1969年1月15日。「“放蕩無頼”堤玲子のアングラ劇団」『週刊文春』13(34)(638)文芸春秋社、1971年8月30日。「五木寛之の真夜中対談〈19〉 精神の貴族たちをコマしたい」『週間読売』30(33)(1168)、読売新聞、1971年7月23日。堤玲子「テーマ随筆 私と結婚」『創』創出版、1975年3月。堤玲子「もんしろてふ、はた、はた、はた」『江古田文学』(59号)星雲社、2005年7月25日。「孤高の作家、堤玲子さんを復活させたい。」「南川泰三の隠れ家日記 ブログエッセイ・『猿の手相』」2005年10月8日

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