専門外の教養が必要なワケ
先生はオペラを作曲し、楽団を指揮された。余人には無理だが、音楽に興味があることが先生にとっては良い医師の四大条件の一つだった。日野原先生は医学においても専門以外の広い知識をお持ちだった。
たとえば先生に、心疾患のため塩分制限をしていた患者の視力が落ちてきた事例を話したところ、「少し塩分を増やしなさい」とおっしゃった。教科書では心疾患の場合は塩分はダメと書かれている。ところが先生の言われたとおりにしたところ回復した。経験に裏打ちされた知識ほど強いものはない。
「医学というものは不確かさの科学である。どんな疾患でもその表現はとても変わりやすい」と近代医学の祖オスラーは述べている。疾患は必ずしも型にはまったものではないのだ。
そこに経験が生きる。また医師の教養に関してはこんな話もある。ある大学の病理学の教授が、学科試験に日本史の問題を加えたために父兄から抗議を受けた。このとき教授は「この程度の教養がなくては医師は務まらない」と堂々と答え、一歩も引かなかった。大したものだ。
ゴルフ三昧の医師が失う患者との信頼関係
最近の医師はゴルフなどの趣味に凝るが、書物を読まない。本来、患者と信頼関係を築くためには、医学書はもとより各種の書に広く接して、最低限、常識程度の教養を身につける必要がある。
米国の医学部教授と話したときに、「米国の医師は自国の歴史を知っているが、日本からの医学留学生は日本の歴史に疎い。
日本の古典文学、たとえば源氏物語について質問しても答えられないことが多い」と言われて恥ずかしかったことを覚えている。留学先の国の人に、母国の歴史や古典について聞かれて何も答えられないのは日本人として恥である。
座談会で若い医師たちと話していて、講談師の故・一龍斎貞水さんの「自慢、高慢、酒の燗、天狗は芸の行き止まり」という警句を思い出した。
若いうちは誰でも壁にぶち当たるものだが、そこを超えると視野が広がる。人生はその繰り返しなのに現状で十分とふんぞり返っている。そんな人に進歩はないという意味である。

