看護師を尊敬される職業にした

二人が養成所の門を叩いた1886年(明治19年)から、看護婦の資格制度「看護婦規則」が公布されるのは1915年(大正4年)のことだ。

大正7年(1918年)のスペイン風邪、大正12年(1923年)の関東大震災と、未曾有の疾病と天災が相次ぐ中で看護婦の需要は急増し、二人が「賤業」と呼ばれた仕事に飛び込んだ日から、世間はようやくその価値に気づき始めていた。

和は現場で感染症と闘い、雅は看護婦が自立して働ける仕組みをつくった。「吉原の遣手婆さん」や「あばづれ」と呼ばれた職業を、二人はそれぞれの方法で変えていった。その二つの営みが今日の看護職の礎となっている。『明治のナイチンゲール 大関和物語』で田中ひかるが書いたように、「途中、身内の度重なる不幸などさまざまな艱難に出合いながら、それを乗り越え突き進んでいく和の生き方は、現代を生きる私たちに勇気を与えてくれる」。

これから「風、薫る」で展開するのは、そんな二人の「バディ」の物語だ。

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