見知らぬ遠縁に寛大だった「日本的な義理人情」
ここで重要なのは「独り定めで押しかけ来る」と書いてあるところ。つまり、手紙や電報で打診するまでもなく、いきなり玄関先に「ごめんくださいませ」と現れて「あの……松江のどこそこの叔母さんの、娘さんの旦那の弟でございまして……」と自己紹介、そして、しばらくご厄介になりますと居候を決め込むわけである。
セツにしても、同居している養母のトミにしても「そんな親戚、おいでましたかね」「ほら、あの法事んときの……」「ああ、あの方ですか‼」みたいな具合だろう。きっと、三杯目をそっと出す予期せぬ居候にセツやトミは困惑していただろう。
しかし、それを八雲は気にしなかった。文壇の重鎮はお断りするのに、松江から突撃してきた見知らぬ遠縁には寛大、というのが八雲らしい逆張りである。血縁・地縁の紐帯を大切にする日本的な義理人情を、外から来た八雲の方がむしろ体現していた、ともいえる。
一雄によれば、そうして訪ねてくる親戚は熊本時代から多くいたという。熊本時代にトミの甥がしばらく居候をした挙げ句、内緒で巡査の試験を受けて合格した時には、セツとトミは憤慨したという。
彼女たちにしてみれば、威張り散らすのが一般的なイメージだった明治の巡査邏卒は、決して上品な職業には思えなかったらしい。この時、八雲はひとり「そんなに怒ることもない」と居候の肩を持った。
若い女性の居候に困惑
また、同じくトミの姪で「お安さん」という女性が居候をしていたこともあると、一雄は書いている。一雄の筆によればこの女性は「薄命な美人」で、幾度も結婚と離婚を繰り返していたという。
さすがに若い女性を居候に置くことには、八雲も少し困惑したようだ。一雄によれば、八雲はセツにこう話したという。
世間は口が煩い。八雲は近頃妾を蓄えたなどと飛んでもない取沙汰をする者が現れぬとも限らぬ。だから、よく身の上について問い糾した上、差し支えなくば相当なところへ縁づけてやって早く身を固めさせてはどうか。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
さすがに、書生もいる家に若い独り身の女性を同居させることは、いかに鷹揚な八雲といえども、いささか居心地が悪かったようだ。お安さん本人への配慮というより、外聞というやつである。世間の狭い、明治時代である。近所の目がどれほど好奇に満ちていたか、想像に難くない。

