八雲「時間を持ちませんから、お断りいたします」

この「原稿を書くから、人付き合いは極力しない」姿勢はトキも困惑するほどであった。セツは、その徹底ぶりを次のように回想している。

ヘルンは面倒なお付き合いを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても「時間を持ちませんから、お断りいたします」と申し上げるようにと、いつも申すのでございます。ただ時間がありませんからでよいというのですが、玄関にお客がありますと、第一番に書生さんや女中が大弱りに弱りました。

(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)

セツの回想は「大弱りに弱りました」と上品にまとめているが、実際の玄関先はもう少し修羅場だったに違いない。

想像してみよう。……おそらく訪ねてくるのは、当時の文壇・学界の重鎮たちである。明治なので立派な髭が生えている紳士である。しかし「ハーン先生にお目通り願いたい」と名刺を差し出す紳士に、書生が「あの……先生は時間がないと……」と口ごもる。「時間がない? 私が誰だかわかっているのかね」「は、はあ……」「日本の文学界のためにも、ハーン先生のご意見を伺いたいのだ」。「さようでございますが……先生は、時間がないとしか……」。