八雲「時間を持ちませんから、お断りいたします」
この「原稿を書くから、人付き合いは極力しない」姿勢はトキも困惑するほどであった。セツは、その徹底ぶりを次のように回想している。
ヘルンは面倒なお付き合いを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても「時間を持ちませんから、お断りいたします」と申し上げるようにと、いつも申すのでございます。ただ時間がありませんからでよいというのですが、玄関にお客がありますと、第一番に書生さんや女中が大弱りに弱りました。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
セツの回想は「大弱りに弱りました」と上品にまとめているが、実際の玄関先はもう少し修羅場だったに違いない。
想像してみよう。……おそらく訪ねてくるのは、当時の文壇・学界の重鎮たちである。明治なので立派な髭が生えている紳士である。しかし「ハーン先生にお目通り願いたい」と名刺を差し出す紳士に、書生が「あの……先生は時間がないと……」と口ごもる。「時間がない? 私が誰だかわかっているのかね」「は、はあ……」「日本の文学界のためにも、ハーン先生のご意見を伺いたいのだ」。「さようでございますが……先生は、時間がないとしか……」。
今日もまた書生は困り果てて、玄関で謝り続けるしかない。
セツの親戚だけは歓迎していた
しかも、その奥では八雲が「うるせえなあ……ジゴクジゴク」と、原稿に向かって、一言一句、自分の手で確認しながら書き続けている……きっと、こんな光景だったに違いない。
きっと、女中や書生にしてみれば「ごめんください」と玄関で声がすれば「うわー」「お前行けよ」という日々が繰り返されていたに違いない。本当に大弱りである。
しかし、八雲は決してすべての来客を嫌ったわけではない。セツの親戚の来訪だけは、基本的に歓迎していた。基本的というのは、自分が気に食わない者はNGということだ。その代表格は、以前も記したセツの弟である藤三郎。ドラマでは雨清水三之丞(板垣李光人)として描かれた人物。実家の墓の土地まで売り払い、生涯を風来坊の遊び人として過ごした藤三郎は、一雄をはじめ子供たちには大人気な親戚のおじさんだったが、八雲が絶対許せない相手であった。
そんな人物をのぞけば、八雲は親戚の来訪を嫌がらなかった。長男の一雄は、こんなことも語っている。
田舎(山陰)の親類の端くれなどの中には、父の牛込の住居を東京見物中の宿泊所あるいは就職口が見付かるまでの足留場と独り定めで押しかけ来る連中もちょいちょいありました。これ等の人々に対して父は割合に応揚でした。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)

