優秀でも昇進したがらない人がいる。彼・彼女らは何を考えているのか。心理学者の榎本博明さんは「仕事人間のなれの果てを知り、自分たちはそうなりたくないと思っている」という――。(第1回)

※本稿は、榎本博明『すぐに「できません」と言う人たち』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

手のひらを前に出すビジネスマン
写真=iStock.com/Murat Deniz
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「最低限しか働かない」のは悪なのか

上昇志向の強い人物がいる一方で、昇進には興味がなく、最低限の義務としての仕事さえやればいいといった感じで、仕事へのモチベーションがまったく感じられない人物もいる。

経営者や管理職からすれば、もっとやる気を出して、最低限必要なこと以上の仕事をしてほしいと思うだろうが、それならもっと給料を出すべきだ、給料分の最低限の義務を果たしているのだから文句ないだろう、といった言い分も成り立つ。

給料分の仕事をすれば、それ以上に組織のために動く必要はないというのは、真っ当な考え方である。

だが、日本の職場では、サービス残業という言葉もあるように、組織のために滅私奉公するのが人間として好ましいといった美学みたいなものも根づいており、最低限の義務以上の働きを従業員に求める組織風土があるため、どうしても給料に見合った義務としての仕事をするだけの人物を白い目で見る風潮がある。

このところ滅私奉公のように組織のために働こうという人が少なくなっているのも、組織を自分と重ね、私生活を犠牲にしてひたすら働く仕事人間のなれの果てを見てきた世代だからとも言える。

「仕事一筋の悲しい末路」を見てきた現代人

仕事中心で、残業がないときも仕事上のつき合いを優先させ、家庭を顧みずに働き続けてきたために、働き盛りを過ぎて暇ができたときには家庭に居場所がなく、家族との心のふれあいももてなくなっていた、そんな中高年も少なくない。

仕事が定時に終わったので帰宅して、家族と一緒に食卓についても、「なんであんたがここにいるの?」といった雰囲気が漂い、どうにも居心地が悪く、用もないのに職場で居残りをしたり、帰りに居酒屋で時間を潰したりする、いわゆる「帰宅恐怖症候群」に陥る仕事人間もひと頃話題になった。

仕事中心の生活で、夜も仕事がらみのつき合いが多く、休日も取引相手とのつき合いでゴルフをするなど、自分の趣味のための時間をもつことがなかったため、働き盛りを過ぎて時間的に余裕ができても、趣味といえるものがなく、自分の無趣味さに気づいて、これまでの人生の過ごし方を後悔したという人もいる。

仕事一途で、人づき合いというと職場や取引先など仕事がらみのつき合いばかりで、プライベートなつき合いがほとんどなかったため、定年退職をしたらだれもつき合う相手がおらず、孤独な日々を過ごす人もいる。