もう一人の開発者
実は、YS BLADES開発の立役者はもう一人いる。山一ハガネ元社員の六車英高さんだ。石川さんと六車さんが主となって開発に取り組んだものの、それは本業の片手間に行われていた。すきま時間や就業後の時間を利用した。
「六車はそれこそ睡眠時間を削ってやっていましたね。『俺はこれをなんとかするんだ』って」(石川さん)
メインの開発は石川さんが、外注や営業関係は六車さんが担当した。2013年に開発を始め、2018年にKOZUKA BLADESを発表するまで、5年の歳月をかけて取り組んだ。
情熱を燃やす2人に対して、社内からの反応は冷ややかだった。本業とは関りのないことに陰口を言う人もいれば、まったく興味を示さない人もいた。石川さんも「収益が出ていないことがすごくつらかった」と話す。それでも、2人はブレードの開発に熱中した。
「我々が普段つくっている金型って、自動車部品でもなく、それをつくるための型なので、完成品が見えないし、実感も湧きづらいんです。『図面通りにつくってください』って依頼が来て、その通りにつくる。でも、ブレードは形状も何でも全部自分たちでコントロールできるんですよ」(石川さん)
2人は、今まで経験したことのなかったクリエイティビティを発揮できるブレードづくりにやりがいを感じたのかもしれない。
石川さんには、マネージャーとして「工場の稼働率を上げる」という目標もあった。顧客からの依頼で製造する個数も納期も決まっている普段の商品と違い、自分たちのスケジュールで進められる自社商品という点も魅力だった。
YS BLADESの完成前に、六車さんは昔からの夢を叶えるため退職。辞める前に「死ぬに死に切れんから、あとはお願いしますね」と石川さんに託している。
「自社商品だから、別にいつでもやめられたんです。六車の想いがなかったらやめていたかもしれません」(石川さん)
「木原選手を推そう」と考えたわけ
石川さんが大きな信頼を寄せていた六車さんは、早い段階から「木原選手を推そう」と話していたという。当時、一般的にほとんど知られていない選手だったにもかかわらず、なぜそう考えたのだろうか――。
ブレードを開発し始めた当初、販売店とのつながりもなく、2人はどうやって売ろうかと考えあぐねていた。
フィギュアスケートの選手たちがブレードを選ぶ際、コーチからの紹介やスポンサーとの契約などの複雑な事情が入り交じる。いきなり外部から参入するのはハードルが高く、特にトップ選手は難しい。
一方、当時はまだ無名だった木原選手にはそういったしがらみが少なかった。加えて、「めちゃくちゃ人柄がいいんですよ」と石川さんは言葉に熱を込める。木原選手はYS BLADESを使うようになってから、毎年必ず来社してくれるような律儀な人でもあった。

