廃墟で大麻パーティーをする地元住民
廃墟化したとある温泉施設を撮影しようと中に入ってみると、そこに3人の若い男性がいた。彼らの親がアブハジア難民で、ツカルトゥボに避難しそのまま定住していると言う。ここで何をしているのと聞くと、ニヤリと浴槽の縁に置かれたペットボトルを指差した。
水が入っており、カットし加工された部分には乾燥した謎の草が詰められていた。これは……大麻だ。この廃温泉は撮影をする観光客も多いがタイミングを誤ると大麻パーティー状態の地元グループにこうして遭遇する事になる。
翌日早朝も行ってみたが、その時も朝から一人で大麻をもくもくに焚きまくる男性がおり、建物の天井部分の穴から白い煙が物凄い勢いで立ち上っていた。一瞬火事かと思ったが辺りに漂う独特の香りで状況を察する他なかった。
日常の中に境界線がある
ジョージアは戦争が“終わった”国ではなく今も“続いている”国だ。
アブハジア出身のタクシードライバーが紛争時ロシア軍と共に戦った昔話をしてくれたり、私が地方へ赴いている間トビリシでデモがあったり、数年前訪れた時にはなかった街で見かける反ロシアの落書き、行く先々で出会った人々が漏らすロシアに対する不安や不満。
ジョージア人は明るく親切な方が多い。その明るさの底には守るべき誇りと失ったものの記憶、静かな緊張があると感じる。
境界線は地図の上では細い線だが、その線の向こう側にも人の生活があり祈りがある。平和と戦争の間に横たわるそのわずかな距離が、何と不安定な中で存在している事か。戦争が止まったのではなく凍りついたまま続いている。戦争の記憶は過去ではなく、日常の延長線上にある。


