「実力による免罪符」の終わり
この事件の重要性は、先にも述べましたが、この警視正がいわゆる高位職で部下100人を束ねるほどの「仕事がデキる男」だったからです。
これまでの日本企業において、ハラスメントが根絶できなかった最大の理由は、「ハラスメント体質だが、あいつは稼いでいるから」「仕事ができるから多少の性格の難は目をつぶろう」という、実力による免罪符が存在したことです。
エース社員、ワンマン経営者、あるいは会社を立て直した中興の祖。彼らがどれほど部下を冷遇し、不機嫌を撒き散らしても、「結果を出しているから」という一点で不問に付されてきました。しかし、今のスタンダードは完全に変わりました。
何でもかんでもハラスメントと呼んで、管理職が本来の指導や指示、管理すらもできなくなってしまうのは、組織の責任です。ハラスメントと管理職としての指示・指導は全く別物なのですが、その境界線がむしろさらに厳しくされようとしているのです。
ここ数年のコンプライアンス意識の向上で、どんなに権力があっても、ハラスメント行為だと認定されれば、経営の立場からも退場させられるのが今のスタンダードです。近年でも有名経営者がその立場を追われました。
いわゆるシゴデキ人間は、正に「仕事がデキる」という一点突破で、それ以外のさまざまな不整合や身勝手な特別扱い含めて、見て見ぬふりをしてくれていた会社の基準が変わったのです。
これから必須のマネジメント能力
シゴデキであってもコンプライアンス違反は認めないという、かなり踏み込んだ判断を警視庁がしたというインパクトは大きいでしょう。
乱暴な言葉遣いや威圧などで部下を萎縮させるだけでなく、不機嫌な態度のような受け身のものであっても、組織にダメージを与える行為はだめなのです。感情を暴露するのでも押し殺すのでもなく、言語化して共感的理解による組織運営をすべきという、新たな方針が決まったといえます。
今回の事件で明らかになったのは、単にパワハラがダメとか、「○○ハラ」に気を付けようといったネーミングの問題ではなく、(管理職としての)行動が組織にどれだけマイナスかが重視されるようになり、管理職もその基準で評価されるフェーズになったということです。
どれほど業績を上げているリーダーであっても、感情的な振る舞いで職場の雰囲気を悪くすることは認められません。
これからの組織運営では、成果を出すだけでなく、「自分の感情をコントロールする力」や「対話によるリーダーシップ」が、管理職能力の必須要件として、より厳しく見られるようになったという、新たなフェーズの始まりです。結果がすべてですらなく、適正なプロセスを通しての業績でなければ評価どころか処分を受けるという時代です。
どれほど輝かしい業績を上げようとも、自分の感情一つコントロールできなければ、一瞬ですべてを失う。私たちは、そのような厳格かつ本質的な時代を生きているのです。


