※本稿は、ギデオン・デフォー『新版 世界滅亡国家史』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
植民地になるか、宗主国になるか
人口 3500万人
首都 新京、通化
言語 日本語、満州語、北京官話
通貨 満州国圓
滅亡原因 第二次世界大戦
現在 中国の一部
19紀半ば、日本は自らに課した眠りから覚めた。かすんだ目を擦りながら辺りを見回すと、ヨーロッパ人が非道な行為を行っていたが、彼らは何の罰も受けずに済んでいた。
日本は次のように言った。「どいつもこいつも下手なやつらばかりだ。いいか、植民地主義者ども、おれたちが手本を見せてやろう(1)」
(1) 公平を期すために言うと、日本は1つの選択を迫られていることを正しく認識していた。それは、急いで権力を振るう側にまわるか、それとも他国と同じようにヨーロッパ人に搾取される運命を受け入れるか、ということだった。
満州進出のきっかけ
50年も経たないうちに、日本は朝鮮で戦争を行い、清から台湾を奪っていた。しかし、これでもまだ、この新しい膨張主義者の渇きを癒やすことはできなかった。
さらなるチャンスは鉄道の形をとって現れた。19世紀後半、ロシアの皇帝は、もう少し優雅に、できれば食堂車と専属のシェフつきで広大な帝国を横断したいと思った。そこで彼は、シベリア横断鉄道を完成させることを決意した。作業を早く終わらせたくてたまらなかった鉄道技師たちは一番シンプルなルートをとった。これには、中国を横断する近道が含まれていた(2)。
ほどなくして、日露関係が悪化した。短い戦争があり、講和条約が結ばれ、清のロシア鉄道のある部分が日本の領土になった。表向きは、日本は狭い南満州鉄道附属地の支配権を獲得しただけだったが、日本はすぐに鉄道に沿って入植地を建設した。
この五月雨式の領土拡大は、日本政府の目にはもどかしく映ったようだ。開発の速度を上げるための口実が必要だった。
(2) ロシアは、弱体化する清王朝から承認を得ていたため、満州を通過する「東清鉄道」を建設することができた。このときの清はロシアに対して異議を唱えられる立場になかった。


