疎外される中高年男性とそうでない人の違いは何か。社会起業家の坂爪真吾さんは「問題はコミュニケーション能力ではなく、コントロールが難しい性的欲求のマネジメントにある」という――。(第3回)

※本稿は、坂爪真吾『モテない中年』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

自由と引き換えに金と努力が求められる時代

「社会の中で、コミュニティが失われた」と語られるようになって久しいが、推し活文化の一般化に伴い、「課金することで所属できるコミュニティ」は以前より圧倒的に増えている。コミュニティそのものが減ったわけではなく、家族や親族関係、地域とのつながりなどの「課金しなくてもよいコミュニティ」が相対的に減少・弱体化している、というのが現状だろう。

今の社会では、結婚をはじめ、かつて大半の人が無意識のうちに達成できていたライフイベントの多くが、それらを支えていた前提が変化・崩壊した結果、各個人が意識的かつ能動的に取り組まないと達成できないものになっている。就活から婚活、パパ活から終活まで、多くのライフイベントが「活」になりつつある。

こうした中で、かつてはプライベートの問題として考えられてきた家族・恋愛・育児・介護などの問題が、パブリック(行政)やエコノミー(市場経済)の力を借りないとうまく解決できなくなっている。

タキシードとウェディングドレスのカップルの人形、背景にハートの置物と積み上げられた硬貨
写真=iStock.com/JadeThaiCatwalk
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もはや課金ゲームとなった「推し活」

プライベートな領域で起こっている問題が、秘匿・隠蔽されずにきちんと公の場で語れるようになること、問題を解決できる選択肢が増えること自体は、疑いようもなく良いことではある。児童虐待が社会問題として認識されたことで、子どもの権利と安全を守るための制度が整備された。

介護の社会化という理念を掲げてつくられた介護保険という制度によって、家族の介護負担は大きく減った。一方、個人の問題が社会の問題になった途端、行政の制度にアクセスできるかどうか、市場の中で有料のサービスを利用できるだけの収入があるかどうかによって、問題解決に大きな格差が生じることになる。

教育の領域では、露骨な「課金ゲーム」の様相を呈している首都圏の中学受験が良い例だろう。大学生の就活にしても、地方から首都圏の企業を狙うためには、交通費や宿泊費などのコストがかかるため、「就活のためにバイトをする」ことが必要になる場合もある。

つまり、あらゆる社会的な振る舞いは、「活」になると、個人の能力や経済力による結果の格差が生じ、参加者は他者との比較、劣等感、焦りに苛まれることになる。40代以降の恋愛や結婚の領域においては、「活」の世界で結果を出せる人は、ほんの一握りである。