政治的にも領国規模でも最有力大名だった

秀吉に従属した時点での家康の領国は、与力小名よりきしょうみょう(木曽・小笠原・真田)の信濃における領国を含めて、駿河・遠江・三河・甲斐・信濃5カ国であったが、信濃のうち海津領が上杉家の領国であった。

黒田基樹『徳川家康の最新研究 伝説化された「天下人」の虚像をはぎ取る』(朝日新書)
黒田基樹『徳川家康の最新研究 伝説化された「天下人」の虚像をはぎ取る』(朝日新書)

同史料でこの5カ国の石高を合計すると、133万1884石になる。このうち海津領の石高を13万7500石とみて(慶長5年、森忠政への充行あてがい時のもの)、これを引くと、119万4384石となる。もちろんその間において検地などによる石高の増加があったとみられるものの、慶長2年・同3年時点にあわせれば、他との比較が可能になる。

家康に次ぐ領国規模にあったのは毛利輝元(1553〜1625)であったが、その知行高は112万石であった。これと比べると、家康の領国規模はそれを上回る、諸大名中随一であったことがわかる(ただし与力小名の領石高を差し引くと、100万石ほどであった)。

このように家康は、羽柴政権において、秀吉妹婿の立場をもとに、諸大名筆頭の政治的地位にあり、かつ最大の領国規模を有し、最有力の大名として位置した。

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