盛大な婚姻行列が家康の地元へ

そして11日、朝日の徳川家領国入りがおこなわれる。朝日が大坂城を出立したのは、のちに秀吉母の大政所おおまんどころ天瑞院殿てんずいいんでん、1516〜92)が足かけ6日で三河に到着していることを参考にすると、6日頃のことであったと思われる。そうすると起請文に関わる問題は、朝日の出立直後に生じたものであったことになり、それにともなって2日延期されているので、実際の出立は4日頃のことであったとも考えられる。

さて朝日の三河到着にともない、家康家臣は、羽柴方領国との境目にあたる三河池鯉鮒ちりゅう(知立市)まで出迎えに行き、西の野で羽柴家から朝日を請け取った。朝日に供奉ぐぶしてきた秀吉家臣は、浅野長吉・富田一白かずあき・伊藤秀盛・滝川益重、織田信雄から派遣されてきた家臣は、織田長益・滝川雄利・飯田半兵衛らであった。

そして徳川家から輿添こしぞえしたのは、内藤信成・三宅康貞・鳥居忠兵衛・久野左大夫・粟生将監しょうげん高力こうりき正長・榊原忠政らであった。